LGBTQ・・・主義者の危険性
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- 2023/02/11 00:34:04
①L(レズ)G(ゲイ)B(バイ)までは、一般的に性交相手に同性を選ぶ人を指すことばとなっている。
しかし、神経学的に言えば、たんに神経端末を刺激して脳幹網様体を賦活させて楽しんでいるだけで、生殖行為と似てはいるが生殖行為ではない。
そしてアメリカのレズなんて 単に男からの性的搾取から身を守るために女性どうし固まって暮らしているだけでない?男からの性的支配を拒否して、人間としての性の在り方を追求するために女性どうしでいろいろ試しているだけではないの?と言った人達も多いように感じる。
ただ 男性の場合は、暴力的な興奮と性衝動がごっちゃまぜになって
たとえ異性を相手に 社会的には「普通の夫婦の営み」「ただの性交渉」とみられていても 実際には・・・><なことをやっている人も多いから
人間の「性行為」を論ずるのは むなしい作業だと思う。
(1-2) 一時期 条件付けによって性衝動をコントロールして性犯罪者を矯正するというのが、心理学分野ではやったが、あれ のきなみ失敗してます。
そのレポートを読んだら吐き気がする世界で ミイラ取りがミイラになったりで
ワヤクソの世界だ。
だから 欧米では 性犯罪者を投薬によりコントロールしようとか、位置発信機をつけて社会的に行動を監視しようとか まぁ いろいろやってますわ。
②というわけで 性行為の社会的逸脱云々を論じるよりも
ざっくりと 他者を傷つけたら自動的に処罰、排除
その傾向を助長するような活動をあおらない(特にメディアや娯楽産業は)
そして 同性相手であろうと、異性相手であろうと、相手の同意を得ずに相手の体に触れてはいけない、相手に触れることに同意するように圧力をかけてはいけない
といった性行為や性的関係については、外面的行為を規制するより仕方がないのが、紀元前から現代にいたるまでの現実で このことは 人間が人間である限り 今後とも変わらないと思う。
だから 私個人としたら 当事者が 互いに相手をいつくしみ共に幸せであるなら、それが同性だろうと異性だろうとどういう形であれ、他人がとやかく言うことではない と考えている。今も昔も変わることなく。
そして バイだのゲイだの言い立てる必要もない。
社会的に保護すべきは 次世代を産み出す生殖行為を行うカップル(婚姻関係)だけでいい。
それ以外の関係は 当事者の友愛問題として そっとしておけばいい。
他人が口をはさむ問題でもなければ、
自分達の存在を誇示して他人に何かを要求することもまちがっている。
経済的問題は 当事者間で話し合って契約書をまとめればいいのだ。
なにも 「婚姻」という形式にこだわらなくても。
むしろ 避妊が一般化すれば、異性間の婚姻の形態が
「妊娠を前提とするのか 出産を目的とするのか 避妊を前提とした関係なのか 一時的な同居なのか 妊娠云々と関係なく生涯にわたるパートナーシップなのか」細かく分かれていく方が 現実的な未来像だと思うのだが。
その方が 離婚だの養育権だので 後々もめなくていいだろうに。
③問題は 婚姻を「権利」=利権、として扱い
同性カップルにも 法的強制力を伴う利権を与えろ!
と法改正まで強要する圧力集団化していることだ。
だから 昨今のLGBT・・論争はくだらないどころか 危険で排除すべき活動であると考えている。
それこそ 異性間の多様な関係、男女の真に対等な家族関係の在り方議論そのものを完全否定して
旧態以前の古い枠組みに「結婚・婚姻」を押し込め
その枠からはみ出すことを認めない思想が ゲイの同性婚要求であると考える。
④T(トランスジェンダー)論議のむなしさ。
心と体の方向性がちがう、云々議論の飛躍。
この論議の最大の問題点は、「誰か」が思い描く「男らしさ・女らしさ」を絶対的なもの考えて、その枠にはまらない「私」を 「私が思い描く異性として扱え」と要求していることだ。
先のページでも書いたが、「男らしさ・女らしさ」なんて100年たてば規定がガラッと変わっている。社会的な男女の扱いも50年たてば変わっている。
男らしさも女らしさも 結局は個人と集団の価値観のせめぎあいに過ぎない。
イスラムファミリーで育った女の子が「男」になりたいと言って語る「彼女の希望する生き方」は、早い話が「非イスラム世界の女の子の普通の生き方」であって、彼女に取ったら イスラムの洗脳が強いから「イスラムが規定する女として生きたくない=男になる 私はトランスジェンダー」と主張しているにすぎないだろうとしか、私には感じられない。
それくらい 各自が持つ「社会的な性のイメージ」なんて自分が育った集団の影響下にある。
それに逆らって殺されるか、異議申し立てをつづけながら生き延びるか、無難な生き方を選ぶかは 各自の自由である。
そこに わざわざ トランスジェンダー云々を持ち込む必要はない。
(4-2)そもそも 「生物学的な自分の性の生きづらさ」と性的欲求は別物である。
トランスジェンダーだから 同性に対して性衝動・性的欲求を持たねばならないと枠を押し付けるから、「Q」だの「+」だのと訳の分からん枠組みだけが無限に増えていく、愚かしいことだ。
しかも LGB云々で大騒ぎしている欧米では いまだに、
ステロイド値を基準にして、XX染色体を持ち 女性として誇りをもって生き、異性とも恋愛・結婚・出産している女性を、「女性」の枠組みの中に入れることを断固として拒否して、「女性枠でスポーツしたければ 注射をうったり その他の療法によって、ステロイド値を下げて 委員会が決めた「女性の枠組みにはいれ」」と 女性に強制するだけでなく 女性のスポーツ成績を抹消するなどの迫害を平然と行なっている。
昔は 女性のスポーツ選手は 素っ裸になって性器をさらして、男性審査員の前を歩いて 「女性の証明」をさせられていたオリンピック。
こっちの方が人権侵害どころか 人格否定の悪行なのに
それは 正しい規定 フェアな行為といいはって
ゲイの権利のために 男として男性ホルモンの利益を得て骨格を形成した男が女装してホルモン剤を使ってステロイド値を下げただけで、「女性枠」に入れて
まっとうな女性よりも優位に立たせようとしている
そのくせ がっしりとした体格の女性を「男だ」と言い張るオリンピック委員会
この現実を前にして トランスジェンダー論なんて ばかばかしくて付き合いきれない。
ようは 「旧弊な思い込み」をごり押しするためのトランスジェンダー論でしょう。
(4-3)自分の回りの人の唱える「男らしさ」に「添えない私」を「女」として扱ってと言っているのに等しいトランスジェンダー。
なんと身勝手自己中で臆病で卑怯なんでしょうか!!
生物は 染色体によって雌雄が決まるし、時にはホルモンによって性器が変化する種もある、
そういう肉体をもって生きる「私」が
「私」として生きるときに
他者の価値観 自分が属する集団の価値観とぶつかりあうこともある
それが人生だ!
なぜ そうきっぱりと言い切らないのか?
ようは 自分の思い通りに他者を動かしたい弱虫の卑怯な泣き言
もしくは 誰かの思い込みに合わせて、誰かの決めた枠から枠へと
個人を移し替えて、
やっぱり個人を枠の中に閉じ込めて置こうという作為そのもの
それが トランスジェンダー論議だ。
(字数の関係でコメント欄に続く)
その方向に 強制力を持って日本の社会と制度を変えようとしている
今の日本の国会とメディアは危険だと考える
・一方 今も昔も 色白男子・きめ細かな肌を持つ男性は、初対面の人から「女みたい」「女性的」と決めつけられている現状
子供の時から 男の子の格好で男らしく遊んで遊んでいても「女みたい」「今どきの女の子は活発だなぁ」と言われまくって育っている。
学校時代に クラスメートである男女から
「女みたい」と決めつけられ続けて大学院修了まで過ごした
色白男子だって珍しくない。
実際には 彼らは 平均的な男子以上に力持ちだし
運動神経も発達しているのに
見た目が マッチョじゃないから 野外活動しても日焼けが残らない退室だから。
それでも 己の外見にこだわらない会社に就職して
やっと 職場で伸び伸び過ごせるようになった~ という男性だって珍しくないのだ。
それでも 合婚の時に 女の子から 自分の容姿を女性的と言われることにうんざりしているらしいが。
あるいは 「やさしさ」を期待されることにげっそりしていたり。
かつては 色白男子も「俺は男」としっかり自分を強くもつことで 男としての生きづらさをいなしていたのだけど
そこに トランスジェンダー論を持ち込んで、「俺の心は女なのか?」なんて 子供の自我の発達を損ねたり、脅かしてはいけない
が 現実に そういう問題をひきおこしかけているのが
今の日本のメディアの論調。きわめて危険。
・問題なのは、自分が持つ「男らしさ・女らしさ」イメージを他者に押し付け
その枠組みに入らない相手を 勝手に別の性の枠組みに移動させようと決めつけてあれこれ言う人間が多すぎるということだ。
そこを 放置して LGBT云々言うことの愚かしさ
・みな 「自分の生きたい人物像」と「自己像」と他者からの評価の間で右往左往しつつも
自分が納得のできる生き方をできれば それが幸せなのだと思うが。
たとえ それが 戦いの連続であったとしても それは 貴方の戦い=あなたの人生なのだから
私は それを否定しない
だが 貴方の価値観を押し付けられることは断固拒否する
それだけだと思う
・そういう意味で 今のジェンダー論もLGB・・論も実にくだらない
それに便乗した犯罪者が跋扈する世の中に
今の日本が置き換えられていく
実際には 生物学的あいまいさ、それは ホルモン値・ステロイド値 時には染色体レベルでも 実際には多様である人間の実態を完全否定して
あくまでも 集団が規定する「男」「女」の枠組みに 個人をあてはめ 押し込め続けようとする人々の主張 それが 昨今のLGB・・・論者の主張である。
坂本龍馬のお姉さんは 米俵をひょいひょい担ぐ女性だったのは有名
龍馬は そのお姉さんを慕っていたから彼女のことを悪く言う人はいない
しかし 西日本の農家では 骨格的に男にしか見えない力持ち 立派な肉体の女性も多かったし、そういう女性を 働き手として尊重しつつも、力仕事をしない町の人間の価値観が一般化するにつれて(農業においても力仕事が必要なくなって)
「男女」「大女」と揶揄する雑誌・文芸マンガ・TV・週刊誌掲載の作品が明治~昭和40年代まで氾濫していた。
そんな中で いかつい体付きの女の子たちが どれだけ苦しんだことか
もちろん 雄々しく体育教師になったり接客業や主婦としてたくましく生きた人達が多いけど 心の傷を隠して生きている人もまた多い。
それでも 彼女たちは 持って生まれた性を立派に生き抜いている
心無い男達の陰口・からかいを受け流して
「心と体の不一致~」なんて逃げを打たずに。