公立はヤバいから私立に?
- カテゴリ:日記
- 2022/10/28 09:13:04
よく東山動植物園に行っては、「動物と私でいったら楽して食べ物を得ている動物のほうが賢いんじゃないのか…」と、いつもライバルが動物だったり基準が動物なんです。低レベルも低レベルの私だけかな、と思ってたんですが、公立の保育園の保育環境がヤバイらしいという風潮。コロナもあって、人手不足が深刻だ、何かあった場合の対応ができかねない。という。環境改善にむけて改善活動が活発化している。これは、一見公立保育の環境をよりよくしようとする素晴らしい運動に見える。だがそうなのだろうか。
先生一人に対して、三十人の子供という比率で育てているらしい公立。東山動植物園の鳥とかのほうが清掃スタッフなどの職員を含めれば、定員比率は動物園が勝る…と、動物園のほうが人員をさいて育てられてきちんと世話されていることに驚愕する。もちろんそれは人間のほうが賢いからそれで充分という事なのですが、なんだかこう、親心がざわつく。昨今の日本の公立保育園の現状は、動物園以下だったのか。と嘆かれる。だから改善しましょう、ということなんですが、改善するために改善するための活動を署名活動をする人がいるのはいいんですが、これがあんまりにも「保育園のここが絶望的にひどい」ということだという周知徹底が進めば進むほど、余裕のある家庭は「保育園にいれたらダメだ」っていうことになってしまうんではないか。保育園の保守的な改善スピードの遅さなどに対し、抜本的な改革にとりくむよりも、「ならば学童や他の預ける場所」という考えがでてくることは全くおかしくないのではないかと。私立の宣伝活動=公立保育園の批判改善活動ともいえ、進歩的な能力のある人間は、一目散に個性のある私立にさっさと行くのかも。公立保育はダメだという活動がむしろあればあるほど、騒がれれば騒がれるほど、私立や家庭保育が良いということになるので私立の人が無暗やたらに公立の批判をしているのでは、とか考えてしまう。そもそも私立というものは、公立がすべて問題ない施設であれば、価格を下げないと人が来ないんじゃないかと思うし。そうなることはやっぱり避けたいという人もいると思う。公立の先生や施設に問題があってほしい、という立場の人間も世の中にはいて、そうではない人間がどれだけ真実を真実のこころであきらかにして改善していくつもりがあるのかを、透明化していくことが待ち望まれるんだろうと思いますが、どうもなぜか、重い腰が動かないのが国家で、だから私立がいいやってなる人はきっといることだろう。私の家は公立育ちの家系なので、公立はダメだ、終わってる、っていうことになると、どうしたらいいのだろうと悩ましい。選択肢が公立しかない人に、私立も選択できる支援金政策があったほうがいいんじゃないかと私は思うんだけど、で、現状すでに私立保育だろうが無償化の政策があるし、進化するべきところは進化してると思ってました。でもそういう外郭の左辺政策でどうにかしようというのではなく、抜本的な国家の定める基準改善という動きがあるそうです。70年かわらないものを変えようというのは凄い取り組みですよね。とてもすごい。と、こういう私みたいな保守っぽくもともとあるものに特に変更をさしはさもうとしない改善に無頓着な私みたいな父母が多いから今まで70年も体制は変わらなかったんだろうな、という気がします。無頓着というわけではなくて、ならば私立とかだったらこう、と色々やってた、ということなんだろうな、と思いますけど。ただ我が家もそうだけど公立にしか入れたくない家庭もあるだろうし、改善活動はもっとさかんに、もっと掘り下げて進んでどんどん変わっていけばいいと思う。せめて、当たり前だけど当然、動物園よりひどいと言われないこころにゆとりある施設であってほしい。先生の質、という言い方になって本当に嫌な言い方ですが、やはり大切な子を預ける施設の人には十分な余裕のある給料はもらってほしいから、保育者の賃金は物価高騰に先駆けてあがってほしいと思います。賃金があがれば、自然に優秀な人間が保育者になるんじゃ?という気もするから、やっぱり上がってほしいし、保育士がなぜ公務員じゃないのかいつも謎だ。小学校の先生と責任の重さとか国家に対する貢献度とか、すごいと思うのに。さながら名前を名乗らないヒーローのような職業だ。