日本百名山 ~ BSプレミアム ~ ②
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2022/10/05 00:44:08
こんばんは!5日(水)は、九州から東北南部では雨の降る所が多く、
雷を伴い激しく降る所もある見込みです。
ただ、九州から中国・四国では午前中には雨は止み、
午後は晴れ間の広がる所もありそうです。
東北北部から北海道は晴れる所もありますが、雲が広がりやすいでしょう。
南西諸島は概ね晴れるものの、所によりにわか雨がある見込みです。
雪解け水が流れる
清らかな滝
初夏を喜ぶように
咲く花々
楽園のような
山頂の湿原
初夏!輝く天空の大湿原
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苗場山
*この番組は2021年8月23日に放送したものです
○登山ガイド 高波太一さん
高波さんの父親は苗場山の山頂で2006年まで山小屋を営んでいました。
高波さんもその手伝いをしながら、ガイドになりました。
3歳の時から登り続けている苗場山は体の一部のようになっているといいます。
*撮影:6月下旬
前回は名も無き滝を見入ってしまうところまでの紹介でした。
今回は木の恵みを受ける山里の紹介から始めます。
<山旅スケッチ>
木の恵みを受ける山里
苗場山が広く知られるようになったのは
江戸時代のベストセラー北越雪譜(ほくえつせっぷ)から。
○北越雪譜
○鈴木牧之(1770年ー1842年)
江戸後期の随筆家
新潟で生まれた鈴木牧之(すずきぼくし)が
雪深い地域の生活や文化を知ってもらいたいと書いたものでした。
牧之は苗場山をこう表現しています。
山の名に呼ぶ苗場といふ所
こゝかしこにあり
そのさま人のつくりたる
田の如き中に
人の植たるやうに
苗に似たる草生ひたり
山の頂上部を田んぼのようと表現した牧之。
しかし、当時麓で暮らす人々にとって
米はほとんど口にすることが出来ないものでした。
此地の人
上食は粟に稗小豆をも交て喰ふ
下食は粟糠に稗乾菜など
まじえて喰ふ
この地域で稲作が始まったのは明治に入ってから。
それを可能にしたのは苗場山から流れ出る水でした。
女性の方「田んぼもあって、畑もあって水が無いと生活出来ねぇんだっけ。
で、このお水が一番大事だと思う。
苗場山の伏流水が一番大事だと思う」
水も苗場山からの水が人々の暮らしを支え続けています。
沢を離れ、森の中へ。
「ここから静かな森の中に入っていくようになります」
人が少なくてほんと静か。
「ちょうど葉っぱがまだ薄くって、凄く光が射す時期ですね。
木漏れ日が気持ちいいです」
高波さん、子どもの頃はお父さんと来たんですよね?
「小さい時とか~、私も色々知りたがり屋だったので、
この花の名前はな~にとか聞くと、
鳥の名前だとかお父さん全部教えてくれましたね」
へぇ~、そうなんだ。
「耳を澄ますと、鳥の鳴き声も聞こえてきます」
ジュウイチ♪
ジュウイチ♪
ジュウイチ♪
ジュウイチ♪
○ジュウイチ
「鳴いてる鳥がねジュウイチって鳥なんですけれど、
ジュウイチ、ジュウイチとかいって」
ジュウイチって鳥がジュウイチって鳴くんだ。
「そういったものもみんなお父さんに教えてもらいましたね」
「ここにね~、背~の高い大きなハリギリの木がありますね」
○ハリギリ
「何百年もここに立ってたんだな~って思うと、自分なんかより先輩っていうか」
樹齢は推定150年。
「雪崩とか起きるとすぐ木が折れてたりして、
やっぱそういったのを耐えて長年ここに立ち続けてるんだなって思うと、
尊敬しあすよね?」
「ここ登るとですね尾根に出ますので」
木の根が凄いですね~?
「ここは尾根なので土が流出しやすくて、
こんなに剥き出しになってるんですね」
土壌が浅い為、根が地中深く伸びることが出来ず地表に出てしまうそうです。
「この木私輪潜(くぐり)の木なんて呼んでまして~、
まぁ樹脂はウダイカンバですね。
恐らくこういった石が元々あって、その上に種が落ちて根っこが伸びて、
その後医師だけが転がって、このように残ったかなって想像してますけれど」
へぇ~、ここに石があったんですか~?
「潜(くぐ)って行きますね」
「ここにもね~、いい木がありますんで~、見てって欲しいですね~」
根っこが浮いてますね~。
○ネズコ(クロベ)
この木も足元の土が流れてしまったそうです。
大きな体を浮いてしまった根が支えているんです。
出発して3時間、山の中腹まで来ました。
「イワカガミがね沢山咲いてます。
○イワカガミ(ピンク色のお花)
○マイヅルソウ(白色のお花)
「マイヅルソウ、小っちゃいけど可愛い~のがね
集まって咲いてるんですよ」
「あ~、綺麗なのが咲いてますね~ちょうど。
ムラサキヤシオツツジという花ですね」
今回はムラサキヤシオツツジが咲いている所までと致します。
次回はムラサキヤシオツツジの紹介から始めます。