国葬問題は終わってない!
- カテゴリ:日記
- 2022/10/02 08:21:55
反対派の主張は議論をして結論を出して置く必要がある。
しかも此れは日本国民は絶対にしておかなければならない最重要事案です。
「反対派の主張に『法の下での平等』を出して憲法違反」であると言う主張がある。
では天皇の葬儀の「大喪の礼」は「国葬にしない」という事ですね。
そうであるか、そうで無いかを日本国民は決めて置く必要がある。
次に天皇に何かあってお隠れになって「大喪の礼」をするときにまた今回の様な「国葬反対派」の人達が葬儀会場まで押しかけて大バレをして勿論その前に「大喪の礼」を国葬にするのに反対をしてずっと大騒ぎをして同じことを或いは今回以上の事をする可能性がある。
あのような葬儀の当日にも関わらず「法の下での平等」を言い出して欠礼と言うよりも想像を絶する暴挙を平然とやってのけてあれだけの騒乱を引き起こした反対派の人達です。
今回の彼らがやった事に対して日本国民としてあってはならない事をしたのですから「大喪の礼」にも当てはまる主張の「法の下での平等」で「国葬は憲法違反」と当てはまる主張では恐ろしくて彼らの様な人達を日本と言う国に置いて置く気には日本国民としてなれません。
自称憲法学者の人達の主張のサイトを見ました。
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略
このたび「政府による安倍元⾸相の国葬の決定は、⽇本国憲法 に反する ―憲法研究者による声明― 」を85名の賛同者を得て発表しましたので掲載します。
略
現時点で、文部科学大臣が国公立大
学に求めている「国旗掲揚」の行政指導が、強く、広範囲で実施されるおそれ
がある。こうしたことは全て日本国憲法19条が保障する「思想・良心の自由」
に抵触することになりかねない。この自由は「内心の自由」に当たり、個人の
思考の核心部分を保障するものであり、これへの制約は厳しく審査されなけれ
ばならない。とくに、学校行事として国葬への参加が強制されることのないよ
うに気を付けなければならない。場合によっては、憲法20条に保障された信教
の自由や21条に保障された表現の自由を侵害することにもなりうる。こうした
国葬は強制がなんらないと言われるが、自己の信念に反する国葬が実施される
という事実をもって、国⺠の各人がもつ人としての在り方、「個人としての尊
重」(憲法13条)への侵害が生じるおそれがある。
略
財政的には現在試算がされているが、これを財務大臣は予備費から支出す
るとしている。しかし、警備も徹底するとなればかなりな費用を必要とするで
あろう。金額の問題もあるが、問題は予備費の使われ方にある。本来は大災害、コロナ対応等の不測の事態にあてるべきであり、国会での審議を求めるのが筋であろう(憲法83条)。
略
宗教性を払しょくして行うとしているが、個人の死に関係することであるから宗教儀式の一環と受け止める国⺠も多いはずである。これを国家が私人に代わって国費で実施することが異常なのであり、国が実施することに格別の政治的な効用があると推定されてしまう(憲法20条3項、89条の政教分離原則)。もしも、国葬をもって死者を必要以上に美化し、それを国⺠の記憶に残し、政治的効果を意図し、現政権の継続を願うものであれば、そのことこそ国家の行為を厳格に制約しようとする、日本国憲法の立憲主義の構造に反することになるおそれがあると考えられる。
https://kenponet103.com/archives/1531
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↑上記の部分は幾らでも「大喪の礼」にも当てはまる事項である。
◎また「森かけ問題等」を出してきて安倍元首相がふさわしくないとしているが安倍元首相の功績を海外の人達も認めている様に日本国民の中にも安倍元首相の功績を認めてふさわしいと思っている人達の意見を無視している。
では日本国民全員一致をしなければ国葬は出来ないのか?
安倍元首相の葬儀を国葬ですべきと言う意見を無視して国葬をしなくて良いのか?
安倍元首相の死に対して海外では例えば
◎米議会上院 安倍氏の功績たたえる決議案 全会一致で採択
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220721/k10013729371000.html
◎ブラジルとインド、国として「喪に服す」 安倍元首相の死去受けて
https://www.asahi.com/articles/ASQ787RDKQ78UHBI069.html
其の他取り上げたらきりがない程海外では安倍元首相の功績は評価されているにもかかわらず日本国内では其れが理解できてない人が居る事はマスコミの卑劣な工作活動のミスリードで安倍氏がやって来た功績を伝えてないからである。
今回の国葬が法律違反で無い事は最高裁の判断も出ている。
あの葬儀当日の暴挙に対して日本国民は反対意見なのだからという事で許して置いて良いのか!
此処に出ている憲法学者の「大喪の礼」を「憲法違反」とするのかしないのかをきちんと日本国民に「しないのなら何故なのか」という事をきちんと納得のいく説明責任を果たすべきである。
そして葬儀当日に葬儀会場近くでのあの暴挙に対してのきちんとした責任を彼らは負うべきである。
更に付けた詩であるが辻本氏の事に関して
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立民・辻元氏は「ブーメランのプロ」 旧統一教会関連団体の勉強会参加、維新・馬場氏が苦言 国葬当日、党の公表に「卑劣なやり方」政治学者
立民が公表したのは、安倍晋三元首相の国葬当日の27日だった。
政治学者の岩田温氏は「党としてメディアに問題にされないように隠していこうという意図もみえる。野党は接点について追及姿勢を強めておきながら、卑劣なやり方ではないか」と強調する。
https://www.iza.ne.jp/article/20220928-Q3XPVVQTGJNWFAIY2QW4AYA6T4/2/
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↑此れも目的が違えど安倍元首相の国葬の日に出して来るとはと其の醜悪さにあきれるばかりである。
★辻本氏の事は人間性の問題の一つとして見る事も出来ますが
其の前の憲法学者を始め反対派が「法の下での平等」を持ち出してきた事は大きな問題をはらみます。
一つは今回の安倍元首相の国葬での騒動を利用して一つの印象操作をした事です。
反対派は「法の下での平等」=「憲法違反」と言う事を肯定したと印象付けられます。
あの葬儀での暴動はマスコミは大きく扱いました。
それ以前にマスコミは最初から安倍元総理の国葬を「意図的」に大きく扱いました。
此れは一つの記憶への印象操作です。
そして「反対派全体」が「法の下での平等」=「憲法違反」として安倍元総理の国葬に反対したと言う事になったままになります。
其の事の影響は「天皇の葬儀『大喪の礼』」にも当てはまるという事になります。
即ち此処でマスコミが自分達のしたことをまるでなかったのに行動しているという事は「法の下での平等」をあれだけ大勢の人が求めて反対をしたと言うパーセンテージの印象だけが残ります。
其の事実をマスコミが意図的に「天皇の葬儀『大喪の礼』」に「法の下での平等」をもとめて扱うのに今回の事が「意図的に悪用」されるのです。
私は今のうちのきちんと「安倍元総理の国葬に反対した人達」の自分の意見の説明責任を其々の立場をはっきりさせる事を望みます。
「法の下での平等=憲法違反」と言う言葉が出る前と出た後では全く違った方向に行ったという事です。