9/8 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2022/09/08 02:44:20
仮想タウンでキラキラを集めました。
2022/09/08
集めた場所 | 個数 |
---|---|
展望広場 | 3 |
教会広場 | 5 |
4択 「沖縄県」
キラキラ 「展望広場」 月うさぎ製菓 お団子屋
「教会広場」 ビル
4択 お酒が強いイメージのある県は? → 沖縄県
南のほうが強いイメージがある。
お酒に酔って道端で寝ても大丈夫だからか?
北国はお酒に酔って道端で寝たら死んでしまう!
北国で思ったのだが、「囲炉裏」というものは北国にしかないものだろうか?
奈良や京都で古民家に入ったことがあるのだが、囲炉裏はなかった。
それで思ったのだが、私は囲炉裏の実物を見たことがない!
調べてみると囲炉裏というものは縄文時代から存在する暖をとるためと調理をするための最古の暖房だったらしい。
竪穴式住居の跡地から中で焚いた跡が見つかっているそうな。
その後、煮炊き専用のカマドの出現により囲炉裏はなくなっていく。
カマドと囲炉裏では煮炊きに必要な薪の量が段違いだったからだ。
特に西日本では囲炉裏がかなり消えたらしい。
茶道で釜をかけるために畳の一部を切って炭がおけるようにするものは残ったが、それは囲炉裏とは呼ばず「炉」とだけ呼ぶらしい。
あそこで料理はせんしな!!
囲炉裏の消えた西日本で暖をとるためにできたのが火鉢だ。
奈良時代からあったことがわかっているという。
火鉢は燃料に薪ではなく炭を使うため少量の煙しかでず、煙の臭いが部屋や衣服に長くつくわけでもなく、また持ち運びが可能なために人のいる場所に持っていけるので重宝されたそうだ。
東日本には囲炉裏が残ったとはいえ、大量の薪を置いておく必要があるために江戸のような都市にはなく、地方に限られるようだ。
江戸では近くの山で薪をちょっと切ってくる・・・わけにもいかず、購入するものだった。
江戸時代、人が増えたことと極寒期だったために必要とされる薪の量は凄まじく、近隣の山はほぼはげ山。
幕府は「勝手に山の木を切るなーー!」とお触れを出すレベル。
でも凍死するわけにもご飯を煮炊きしないわけにもいかずこそっと木を切る→はげ山。
今でこそガスが使えるのは当たり前だが、第2次世界大戦後ぐらいまでは薪での煮炊きが当たり前でやはり近隣の山はハゲていたらしい。
そういえば第2次世界大戦後のベルリンで、東西にわけられたベルリンの西側では、東を通らずに物流がくることはなかった為に人々は街路樹まで切り倒して薪を調達していたなぁ。最終的にアメリカなど西側が飛行機で必要物資を運びまくったために東の「ベルリン西側を封鎖して人々を飢えさせて投降させベルリン全部を手に入れよう」作戦は失敗する。
生きていくのに必須なんだな。薪。
囲炉裏は煙が多くでるために、防虫効果があったり建築材の水分を抜くために耐久性があがったり、タールが梁や茅葺屋根に染み込んで耐水効果があがったりと家にとってはいい効果があったそうだ。
しかし人間にとっては部屋に薄く満ちている煙で眼病になったり、煙の臭いがずーーーーーーっとついていたりという欠点もあったらしい。
奈良時代に囲炉裏が西日本からほぼ消えたのなら、そりゃこっちで古民家に行っても見ないわ。
なので憧憬だけが増すのだが!!
囲炉裏に転がり込んだ赤ん坊が全身火傷を負ったり、囲炉裏に埋めて焼いていた栗がはぜて火傷を負ったりと危険なものでもあったようだ。
さるかに合戦で栗が火の中に潜んで焼けて飛び出るが、あれは昔の人にとっては「身近な危険」だったらしい。
でも一度ぐらい囲炉裏端で何か料理して食べてみたいなぁ。
めっちゃ美味しそうなんだもん!!!!
雰囲気ましまし!
でも薪の準備や囲炉裏の掃除など大変そうなので自宅にはいらないっす!!
竈は使ってたかな~オブジェだったような??普段はプロパンガスのコンロだったと思う。
囲炉裏、大好きだった。炭火でお湯を沸かしていたよ。薪ではなかった。たぶん料理に使ってるとこは見ていないな~家がいわゆる古民家だったから、家の保護のために使っていたのかと今になって思う。
真っ黒な天井の梁や縁側、あああああ懐かしいーーーーー!
七輪の掘りごたつもあったなあ 何度、靴下に穴を開けて帰ってきたことか(;'∀')
昔の実家には、竈ならまだあったよ。