Nicotto Town


人に優しく


なんだか急に


「疲れたの?」

私はやさしく彼女に訊いた。

「いいえ」と彼女は小声に答えたが、私はますます私の肩に彼女のゆるやかな重みのかかって来るのを感じた。

「私がこんなに弱くって、あなたに何んだかお気の毒で……」

彼女はそう囁いたのを、私は聞いたというよりも、むしろそんな気がした位のものだった。

「お前のそういう脆弱なのが、そうでないより私にはもっとお前をいとしいものにさせているのだと云うことが、どうして分からないのだろうなあ……」と私はもどかしそうに心のうちで彼女に呼びかけながら、しかし表面はわざと何んにも聞きとれなかったような様子をしながら、そのままじっと身動きもしないでいると、彼女は急に私からそれを反らせるようにして顔をもたげ、だんだん私の肩から手さえも離して行きながら、「どうして、私、この頃こんなに気が弱くなったのかしら? こないだうちは、どんなに病気のひどいときだって何んとも思わなかった癖に……」と、ごく低い声で、独り言でも言うように口ごもった。

沈黙がそんな言葉を気づかわしげに引のばしていた。

そのうち彼女が急に顔を上げて、私をじっと見つめたかと思うと、それを再び伏せながら、いくらか上ずったような中音で言った。

「私、なんだか急に生きたくなったのね……」

それから彼女は聞えるか聞こえない位の小声で言い足した。

「あなたのお陰で……」





ー 『風立ちぬ』 堀辰雄 ー




 




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