札幌・ハイスクール・デイズ①
- カテゴリ:日記
- 2022/08/28 00:52:01
今月初頭に亡くなられた二神社長
彼がまだ20代初めだったころに初めて店を構えたのは
我が母校と静修学園の間という
明らかに高校生相手の商売を想定した立地だった
風月 <お好み焼・焼そば専門店>
今では札幌市民には認知度が高いが
当時は彼がたった一人で、六畳間くらいのスペースで始めた店だ
その後に、いつのまにか20~30店舗のチェーン店になったその原点である
放課後、帰宅する際、あんまり真面目ではない生徒
あまりにも腹が空いて家までたどり着けない生徒
つきあいを大事にする生徒
美味しいから食べる生徒
でも、みんな、寡黙で、素朴なおにいちゃんが鉄板で作る
お好み焼・焼そばが大好きだった
いや、おにいちゃんが大好きだった
ある日、店のシャッターに張り紙が貼ってあった
【4,5日お休みします】
くちさがない我々の一人が言った
「ああ、奥さんを連れ帰り(大阪)に行ったんだな」
ホントかどうか知らないが、その真相は時間の狭間に埋もれていく
数日後、店は再開し、いつもの日々が流れ始めた
当時高校生だった煎兵衛はとにかくここの焼きソバが好きだった
あまりにも好きだったので、食後、パックにお持ち帰りをつくってもらった
直ぐ近くのバス停で帰宅し、夕食を準備していた母に渡し
その後帰ってきた父や姉達とテーブルで一緒に食べた
「美味しいでしょ?」
あまり良い反応は無かったと記憶している
まだ電子レンジの現れる前の時代だ
高校生だった煎兵衛はそのとき一つものを覚えた(毎日が成長期)
(目の前で、湯気や焼ける音や匂いを感じながら
そして、(ハイドウゾ)と、2本のヘラで眼前に差し出される完成品)
そうだよね。特に焼きソバなんてのは現場で食べるもんだと知った
(今はいろんな技術があるからなんとかなるかもしれない)
時は流れ
数十年後、マダガスカルの姉から電話があった
(w当時はまだマダガスカルには行っていないか)
『私を風月に連れてって!』
彼女も煎兵衛と同じ高校である。丁度彼女が在学時に開店したようだ
当時、実家(私を含む)は夕張にあり、彼女は母の姉の家にお世話になっていた
学校帰りに、自由に飲み食いする行動は彼女自身の規範からは外れていた
さぞ我慢したんだろう
おまけに、弟の存在で(勿論家計の関係)、自らが大学進学を選択せず
高校卒業後、歯科衛生なんとかという、即戦力になっていく専門学校に進んだ
その数年後、父は夕張の大会社を勤め上げ
かねてからの計画通り札幌に一軒家を新築し
そこで久し振りの、父、母、3人の姉、そして煎兵衛の6人家族の生活が再開した
話しが横道に振れてしまった
あっという間に3人は嫁いでいき(いろいろあった‹w›)
父は天に召され
その家で母と煎兵衛の二人暮らしが静かに進んでいた
そんな時である
『私を風月に連れてって!』
若い時(高校生のとき)行けなかった
”やり残したことがある感満載の記憶”そのお店に連れていけ!
がってん承知の助である
場所的に、その時は既にチェーン店になっていた中心部の店を選んだ
食後
特筆すべきことはそこでは何もない
ただ、彼女は納得したように見て取れた
自らの青いときに心を寄せた、今まで未知だったものが
ひとつ、既知になり、擦り合わせ、満足の中に消えた、そういうことだろう
なんでも来年2月、風月本店が閉店するそうである
別に営業不振とかではなく、建物の老朽化とのこと
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd640aa952f20b9484cb5e10bd4cc4b336f4eb94
「北海道のお好み焼きのパイオニア」風月本店が来年2月閉店 近くの2高校
卒業生ら惜しむ
この中の社長の写真、完璧禿頭だけど、高校生だった僕らの前で
たった一人で一所懸命2本のヘラを動かしてくれた兄ちゃんは
頬が真っ赤で、前髪がその度に揺れる、静かで、情熱的だったんです
(いや、鉄板も熱いんですけどね)
今住んでるところから歩いて10分かからないと思う
閉店は悲しいと思うと同時に
時の流れに身を任せようと思っている煎兵衛です
これだけ焼きソバについて書く人も少ないと思う
え?①って何?
きっとおいしいよ
コメありがとうございます
そもそも、お店で食べるケースはほぼないとういう。。。
チェーン店系ならばぼてぢゅうはよくいきましたね。
あとは地元のお好み焼き屋さんもぽちぽちいったかな。
ここ数十年はもっぱらお家で作るかスーパーなどのお好み焼き、焼きそばですね。
久々にお店のお好み焼き食べたいな。。。