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五飯田八宝菜の語学学習日記


1683番:仏教日記(9)

仏教日記(9)


いろんな方の仏教に関する動画をよく楽しく拝見しているの
ですが、そういう動画で少し気になることを発見しました.

ひっかかる点なので書いてみます.
動画をアップされている方に直接コメントさせていただきた
いのですが、多くの場合、動画管理者のところで、ストップ
してしまうようなので(コメントのフィードバックはもらえ
ません)

さてその気になる点は:

物事には「原因」があって「結果」がある.

確かにこれはその通りですが、その次:

「原因」が「結果」になるためには「縁」を得てからになる.

従って「原因」→「縁」→「結果」

という説明がなされております.
まるで「原因」「縁」「結果」の3者が同等の地位を
持っているような表現です.

まあ仏教の検定試験問題の答案なら〇ですが、説明としては
どうでしょうか、ちょっと不親切です.

先に模範解答を出しますと、

「原因」becomes「結果」.
という大前提があって、「縁」という副詞を差しはさむのが正解.

あくまで
「原因」と「結果」が主役です.
「縁」は脇役です.エキストラです.
帰ってもらってもいいです.

よって「縁」は付け足しで

「原因」becomes 「結果」by 「縁」.
であります.

帰ってもらってもいいと言ったのは

but sometimes 「原因」becomes directly「結果」

足摺岬から跳び下りすれば、途中カラスがつつこうが、どう
しようが、死に直結します.
Diving directly results in Death.
でございます.

次の答案は〇ではありません.
「原因」という新郎が「縁」というお仲人さんを通じて
「結果」というお嫁さんを得ました.

いろんな「縁」でいろんな「結果」が生じますが
「犯人(原因)」が「タクシーで(縁)」「逃げた(結果)」
というのは全然「因果関係」の説明にはなりません.
「犯人(原因)」が「逮捕された(結果)」なら
「因果関係」が成立します.そして今度は「逮捕」が縁
となり、略式裁判となった(これが結果)
その結果もまた「縁」として働き、判決が下り
「懲役10日間、もしくは罰金10万円」という判決がでた.
これが結果.その結果をどう受け止めるかによって、
また新たな因果関係が生まれる、というふうに、因果の
連鎖が織りなされるのが実際の現場です.因果は単純では
ありません.



おおむね「悪」の因は「悪」の結果、
「善」の因は「善」の結果となることだけは
確かだ、ということです.




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