Nicotto Town


人に優しく


がんばった


「みんなそうだったのね。どうしても死ねないと思いながら、たくさんの人が帰れなかった。あの時、起こったのは、そういうことだった」

私は女のそばに腰を下ろし、しんと光るホームを眺めた。

風のない、穏やかな午後だ。

さらさらと透明な砂をまくように静かな時間が流れていく。

帰れなかったという女の声が、小さな波を立てて胸に沈んだ。

違う、と思う。

あそこにあったのは、あの体が引き裂かれるような苦しみが意味するものは、そんなかんたんなものではないはずだ。

「でも、帰ろうとしました。走って、こわかったけど、最期まで。私だけじゃなくて、あなたや他の人たちもそうだった。だからこんなところに残っちゃって辛いんじゃないですか。がんばりましたよ、私たち」

振り払えない怒りが火焔のように口からあふれる。

女は少し間を置いて、長く息を吐いてから「やさしいのね」と言った。

「そうね、その通りね。がんばった。……だから、わかってくれると思う」

最後の一言は、すでに思い出せない彼方へと宛てる声だった。

女は、自分が迎えに行くはずだったもののことを、少しは思い出したのだろうか。

どんな姿の、どんな名前の、どんな声をした赤ん坊だったのだろう。





ー 『やがて海へと届く』 彩瀬まる ー




 




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