Nicotto Town



私と夫が、タイと日本に分かれている理由は

喧嘩しちゃたからではないです。


タイに行くときにも、ちゃんと北総線のホームまで入って行って、手を振って

「行ってらっしゃい」

って言ってきました。

ちゃんと生活費も入ってきています。

行く期間も5年間と、初めから決まっているのです。

初めは1年ごとに4月に1週間ほど日本に帰って来ると言っていました。

それがコロナが流行ってしまった理由で、外国と日本間を行ったり来たりすることが

ダメな行為であるので、タイに行ってしまってから1年8か月も帰ってきていません。

元々、無口で無駄なことは話さない人であるので、愚痴とかそういった類は、言ったことない人なんです。

だから、5年間待つしかないと思っています。

夫婦の会話の仕方みたいな動画があって、私は最近会話していないので、見ようかと思いましたけど、

私たち夫婦は、喧嘩もしたわけではないです。

だから、5年間が過ぎるまではじっと待つしかないです。

それは、何か私を試されているのかもしれませんけど。

私は夫のお母さんと暮らしているので、浮気はしないです。

もうわかりきったこの生活を、あと3年4か月続けるしかない。

一人になって、寂しいけれど、

分かったことは一人のほうが、自由に活動しやすいってことです。

夫のお母さんは、私に「こうしなければダメ。」とか言わないですし、

自由に派遣の仕事に行ってきています。

一人で自由に買いたいものも買ったりできてうれしいですし、貯金も作ろうと思うし、寂しい悲しい一人の時期が

結構いい期間のようにも思えます。

一人の間に、過去の恋愛の事も思い出したりできたし、楽しかったです。

結局、思い出したとしても出会ったりはしなかったです。

42年前にお別れした人なんだし。

34年間も今の夫と一緒に暮らしていたわけなんだし、

今さら、私と会いたいだなんて「うそでしょう?」って思う。当たり前。

男の人は、若い人が好きなんだからね。

幸せになってもらいたいです。

それはそれで、思い出したりしながら生活している日々はたのしかった。

お付き合いしていたのは19歳から22歳までなので、そのころに心が戻ってしまったように楽しかった。

そのころは本当に「好き」でした。

今はおばあちゃんになってしまっているので、思い出を何回もこね繰り返して、

味わうことしかできませんけど。

若かったころの私と、今の私とは人間としても、かわいらしさとしても別人になってしまったのかもしれません。

だから、思い出の中で出会うことはできても、現実の世界の中で出会うことの難しさはありますね。

パラレルが違っちゃったということですね。

どの派遣現場に行っても、そっくりさんがいたこともないです。

そういえば、彼は事務系で経理マンだったな。体もそんなに強くなく、一緒に病院に付き添ったこともあるなって思い出しました。

私の夫は、体が丈夫で元気で、まさにちがうタイプだなと思える。

こんな私を34年間も守ってくれられたのは元気で体が丈夫だったからだな。

これからはどうなるのだろう?

お酒も飲みすぎて肝臓も悪くしているみたいだし。

病院に行ったことはないかもしれないけれど。

私が年を取って、もう少しおとなしく自然にできるようになってから、

また一緒に暮らすのが良いのだろうな。

というか、仕事で5年間行ったんだよ。喧嘩してタイと日本に離れ離れになったわけではないです。





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