土用二の丑
- カテゴリ:占い
- 2022/08/04 16:01:38
ニコットおみくじ(2022-08-04の運勢)
こんにちは!九州と四国は晴れ。
中国から関東、北陸は前線の影響で広く雨で、激しく降る所も。
東北と北海道は晴れるが、所々で雨。
沖縄は晴れ。
☆夏の土用は、毎年だいたい7月19日から8月6日です。
*年により1~2程日付が前後します
土用が終わりますと翌日が立秋になります。
1回の土用の中で2回目に巡ってきます丑の日を「二の丑」と呼びます。
「二の丑」が発生します確率は、だいたい6割ぐらいです。
<概要>
○土用 どよう
「土用」とは立夏、立秋、立冬、立春直前の約18日間の「期間」を指します。
@昔の暦
日にちを「1、2、3・・・」ではなく「子、丑、寅・・・」と
十二支で数えていました。
その為に・・・
「土用の丑の日」は土用の期間に訪れます丑の日を指しています。
つまり・・・
季節の変わり目です。
○2022年、夏の土用は7月23日(土)、8月4日(木)
毎年日にちが変動をします「土用の丑の日」です。
@2022年
・1月24日 ・7月23日
・4月18日 ・8月4日
・4月30日 ・10月27日
これら日にちが土用の丑の日に該当を致します。
★夏の土用の丑の日
7月23日と8月4日となります。
「土用の丑の日」には「一の丑」と「二の丑」があります。
「土用」は約18日間の期間を指します為に、
十二支で日にちを数えますと「土用の丑の日」が2回巡ってくる年があります。
その2巡してきます珍しい年が2022年です。
○土用の丑の日の由来と鰻(うなぎ)を食する理由
@仕掛け人は平賀源内(ひらがげんない)さんです。
「土用の丑の日」に鰻を食します週間が出来ましたのは、
江戸時代といわれています。
きっかけは諸説ありますが、蘭学者であります平賀源内さんによる
一つの助言が有名です。
<平賀源内>
「エレキテル」という言葉と結びつくことが多い平賀源内さん。
・地質学者
・蘭学者
・発明家
このように多様な顔を持つ人物でもあります。
また、悲劇的な最期を遂げた人物でも知られています。
(幼い頃から才能を発揮)
讃岐国寒川郡志度浦の下級武士の家に生まれました
*現 香川県さぬき市志度
11歳の時に造りました「お神酒天神」はからくり仕掛け軸で、
仕掛けられました紐を引きますと天神様のお顔が赤くなるというものです。
13歳には、高松藩士の福岡官兵衛さんの元で、
本草学(ほんぞうがく)を学びます。
*本草学:東アジア等で発達しました医学に関する学問
また、薬草に関する知識を得るようになりまして、
さらには俳諧(はいかい)や陶芸にも親しむようになります。
1756年(宝暦6年)から江戸に出ました源内さんは本草学を学びます為、
田村藍水(たむららんすい)さんに弟子入りをします。
☆田村藍水 1718-1776年5月10日
町医でありましたが、朝鮮人参の栽培等で幕府に認められまして、
人参製法所の責任者となりまして、人参国産化にあたりました。
幕命によりまして諸国を訪れまして、
薬用植物の採集や物産の調査も行いました。
(薬品会 やくひんえ 物産会)
1759年(宝暦9年)に江戸の湯島で薬品会を開催します。
*湯島・・・現在 文京区
日本では珍しい動植物や昆虫、鉱物等を集めまして
展示をしますこの催しは日本中の注目を浴びまして、
出品者は年を追うごとに増加しました。
後に・・・
「解体新書(かいたいしんしょ)」を出版することで知られます蘭学者の
杉田玄白(すぎたげんぱく)さん、中川淳庵(なかがわじゅんあんさん)も
訪れました。
お二人とは、これをきっかけに交友を持つようになります。
(杉田玄白) 1733年10月20日ー1817年6月1日
若狭国小浜藩医
「解体新書」:全5巻の本で1巻から5巻の本です。
1巻から4巻は身体の内部の説明を文書ばかりの内容で、
身体の内部の絵は5巻に納められています。
(中川淳庵) 1739年6月7日ー1786年7月2日
本草学者・蘭学者
本草・物産の学を好みまして、青年時代からすでに
本草家として知られていました。
1763年(宝暦13年)になりますと展示しました
約2000種から約360種を厳選しまして掲載しました
「物類品隲(ぶつるいひんしつ)を出版します。
1761年(宝暦11年)に高松藩を辞職しています。
(明和 めいわ)
秩父で鉱山の開発を行いますとこの時に石綿(アスベスト)を発見します。
*アスベスト:現在は長時間吸引により病気を引き起こすとして
規制をされています
火に燃えにくいことを突き止めました源内さんは、
石綿を原料にしました布として「火浣布(かかんぷ)を発表します。
研究を続行、次は廃抗になっていました金山の再開発事業を実施します。
1776年(明和3年)幕府からの再開発許可を得ますと、
事業に本格着手しますが採掘量は思ったように伸びずに、
僅か3年で廃止に追い込まれました。
(失敗)
この失敗は周囲の源内さんに対します味方に大きな影響を与えまして、
噓つきの「山師(ペテン師)」と呼ばれるようになりました。
(エレキテル)
江戸時代にオランダから伝わりました摩擦起電器です。
内部にありますライデン瓶(蓄電瓶)を外付けハンドルで回しまして、
摩擦電流を発生させる仕組みです。
1770年(明和7年)に機械を手に入れました源内さんは、
すぐに修復作業に着手致します。
1776年(安永5年)完了をし、実験で電気が流れる様子は
人々の関心を大いに集めることとなりました。
(キャッチコピー)
長崎留学時に学びました蘭画。
自分でも源内さんは制作をします。
これが・・・
「西洋婦人図」と呼ばれます日本で初の西洋画です。
1773年(安永2年)に鉱山の技術指導で久保田藩に招かれました際は、
藩主の佐竹義敦(さたけよしあつ)公と
小田野直武(おだのなおたけ)さんへの画法指導も実施します。
*久保田藩・・・ 現 秋田県
夏に鰻が売れない鰻屋から相談を受けました源内さんが・・・
「本日、土用の丑の日」という張り紙を張るように提案します。
ここから鰻が売れるようになりましたことから・・・
「土用の丑の日」という言葉が生まれました。
問題 土用の丑の日には、丑湯(うしゆ)に入るという風習もあります。
丑湯に入れる植物を教えてください。
「桃の葉やOOOO等を入れたお風呂に浸かることで、
疲労回復や無病息災につながる」といわれています。
1、ドクダミ
2、クマザサ
3、トチュウ
ヒント・・・ ○正解の植物 Hourrunia cordata
fish mint 等
@花言葉
・白い追憶
・野生
@原産地
・日本
・中国
・東南アジア
@開花期
5~6月です。
@花色
白色です。
お分かりの方は数字もしくは丑湯に入れる植物をよろしくお願いします。