7/27 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2022/07/27 01:24:01
仮想タウンでキラキラを集めました。
2022/07/27
集めた場所 | 個数 |
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神社広場 | 10 |
ゲーム広場 | 7 |
4択 「間食」
キラキラ 「神社広場」 茶屋 提灯
「ゲーム広場」 工事中 中央
4択 どうしても止められないことは? → 間食
甘いものは心の栄養よ!!!
おやつとは・・・
江戸時代、1日2食が一般的だったころ、和時計の時刻で「八つ時(現在の午後2時から3時ごろ)」に小昼という間食を摂っておりました。その間食を「おやつ」と呼ぶようになり、やがて間食全般を「おやつ」と呼ぶようになりました。
ということだ。
8つ時に食べるからかー。
正式表記は「おやつ」とひらがならしい。
お八 じゃないのか。
お貴族様は平安時代から間食(かんじき)として寒天や砂糖を使ったお菓子を食べていてそれが凄く楽しみにされていたことが「延喜式」に記述されているらしい。
戦国時代以降、茶道が広がってからは和菓子が普及。
南蛮文化がやってきてからはカステラやボーロも食べられるように。
でもそんなの庶民の口に入るかーーー!
江戸時代の庶民が何をおやつに食べていたかというと多くは団子、餅、お煎餅だったらしい。
お米が使われていて贅沢なので、普通のご飯は粟や稗、麦を足して食べていて、おやつにはもち米や白米を使ったものを!
めちゃくちゃ楽しみだったろうなぁ。
とくに人気を集めたせんべいは宿場町ごとに特徴のあるものがつくられ、旅人の楽しみに。
「江戸町中喰物重宝記」という江戸時代のグルメ本には様々なせんべいが紹介され、おいしいせんべい情報や番付などが掲載!
時代が変わっても日本人やること一緒だったわ!
どんなおせんべ載ってたんだろうなぁ。
縄文時代にサトイモやヤマイモ、栗などを潰して一口大の大きさに平たく潰して焼いたものを食べていたのが出土している。
それは間食ではなく主食として食べていたと見られているが。
それが一番古いお煎餅になるのか?
今のお煎餅は日光街道2番目宿場町の草加宿で団子屋を営んでいた「おせん」という老婆がある日侍に「平らにして焼いたらどうか」と言われて売り始めたと言われている。
なので おせんのもち→お煎餅
他方、日光街道草加松原の茶屋で同じように団子を平にして売り出され名物になった!という説もあるらしい。
どっちにしろ草加だ。
草加では蒸した米をつぶして丸め、干しておいたものを塩をまぶして焼いて間食として食べていた堅餅というものがあったらしい。
それを宿場町で出したところ、疲れている旅人に塩味が美味しい!とヒット。各地に広がったらしい。
お醤油をまぶしたのは千葉での醤油生産が順調になるまでまたなければならない。
そうかー。お煎餅の元祖は草加かぁ。
草加煎餅は普通に食べて知っていたが元祖とは思わなかった。
草加に敬意を表して、今度スーパー行った時に草加煎餅探すか。
今は様々な間食があるのだが、昔からのお煎餅は今も現役の間食さ!
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- もふもふ0304
- 2022/07/27 23:54
- 美味しいものは心を癒す。
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