Nicotto Town


人に優しく


時には泣かねば


「泣きたかったら存分に泣け。おれはかまわんぞ」

「もっとほかに言うことがあったんだ」

文四郎は涙が頬を伝い流れるのを感じたが、声は顫えていないと思った。

「だが、おやじに会っている間は思いつかなかったな」

「そういうものだ。人間は後悔するように出来ておる」

「おやじを尊敬していると言えばよかったんだ」

「そうか」と逸平が言った。

文四郎は欅の樹皮に額を押しつけた。

固い樹皮に額をつけていると、快く涙が流れ出た。

そしてそのあとにさっぱりとした、幾分空虚な気分がやって来た。

涙をぬぐってから、文四郎は逸平にむき直った。

逸平の眼がまぶしかった。

「少しみっともなかったな」

「そんなことはないさ。男だって木石じゃない。時には泣かねばならんこともある」





ー 『蝉しぐれ』 藤沢周平 ー




 




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