時には泣かねば
- カテゴリ:友人
- 2022/07/09 09:43:51
「泣きたかったら存分に泣け。おれはかまわんぞ」
「もっとほかに言うことがあったんだ」
文四郎は涙が頬を伝い流れるのを感じたが、声は顫えていないと思った。
「だが、おやじに会っている間は思いつかなかったな」
「そういうものだ。人間は後悔するように出来ておる」
「おやじを尊敬していると言えばよかったんだ」
「そうか」と逸平が言った。
文四郎は欅の樹皮に額を押しつけた。
固い樹皮に額をつけていると、快く涙が流れ出た。
そしてそのあとにさっぱりとした、幾分空虚な気分がやって来た。
涙をぬぐってから、文四郎は逸平にむき直った。
逸平の眼がまぶしかった。
「少しみっともなかったな」
「そんなことはないさ。男だって木石じゃない。時には泣かねばならんこともある」
ー 『蝉しぐれ』 藤沢周平 ー