「ウクライナ疲れ」よりも「ウクライナショック」
- カテゴリ:日記
- 2022/06/28 00:28:44
「ウクライナ疲れ」と言うよりも「ウクライナショック」と言った方が私にはあっている。
あれだけ平然と民間人を此の現在虐殺するのは「兵」と言うより「蛮族」だろう。
更に略奪、レイプと彼らの鬼畜行為は収まらない。
これ等の映像を目の当たりにして何よりも思い出したのは旧ソビエトが「日ソ不可侵条約」を犯して北方領土を略奪した時に当時の子供達が経験した事を証言した記事だ。
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1945年(昭和20年)8月20日、樺太に住んでいた秋葉薫さん(当時8歳)一家11人は、侵攻してきたソビエト兵に見つからないように、家の押し入れに潜みました。その場面を絵にしました。兵の息づかいや足音が、ふすま越しに聞こえたそうです。兵が去ったあと、一家で逃避しました。途中で目撃した光景も絵にしました。馬や、鞭(むち)を持ったままの男性、そして裸の女性の死体です。兵隊でなく一般住民が犠牲になったことに、気の毒以外にないと語ります。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001200028_00000
1945年(昭和20年)8月22日、樺太からの引き揚げ船が留萌沖でソビエト軍潜水艦の攻撃を受けました。3隻で合わせて1,700人以上の民間人が犠牲になりました。
第2新興丸に乗っていた吉田勇さん(当時9歳)が、攻撃された時の光景を絵にしました。魚雷攻撃を受けて倒れたマストが男性の胸に突き刺さる光景です。助けることができなかったという慚愧(ざんき)の念を今でも抱えています。吉田さんはたくさんの人が命を失った惨状を、後世に伝えていくことが生き残った自分の責務だと考えています。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D000120
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https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130355_00000
↑白旗をかかげても避難民を攻撃は止まらなかったと証言されてます。
中国がチベットを侵略した時の残虐さも日本のマスコミは報道しなかったが国際社会では其の残虐さから国際問題になってました。
中国は尖閣、沖縄を公的にもともと中国の領土だと言っています。
今日本は日本だけで日本を守れない状態になっています。
色々な制約を持たせた自衛隊法ではそう言った意味ではウクライナ以下の状況です。
早急に憲法改正が必要に思われます。
今の自衛隊法の現状を知った上で未だに「憲法改正」に反対している人達が理解できない。
「話し合いなど無い」事はウクライナで解ったでしょう。
実際は世界中のあちこちの紛争地帯では話し合いなど最初は無いのが普通です。
停戦時に話し合いが行われるのであって其れを日本に当てはめると日本は壊滅状態で停戦時を迎えるのでしょう。
其れとも無条件降伏をした挙句にチベット様な弾圧や内モンゴルの様な弾圧や東トルキスタンの様な案圧を其の後受けて日本と良く国が無くなるのを彼らは望んで居るのでしょうか?