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ジュンチャン


ジュンチャンと世界を巡る 第99回はアルジェリア


 今回はアルジェリア、ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜は更けて・・・」の歌で有名な国です。

 アルジェリアは北アフリカのマグリブに位置する共和制国家で、東にチュニジアとリビア、南東にニジェール、南西にマリとモーリタニア、西にモロッコとサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)と国境を接しています。

 

 北は地中海を隔ててスペインや旧宗主国のフランスと向かい合い、首都はアルジェです。

 2011年の南スーダン独立によりスーダンが分割され領土が縮小したことで、スーダンを超えてアフリカ大陸において最も領土が広い国となっていて、世界全体でも第10位の領土面積を誇る国家です。

 国民の80%がアラブ人で、残りの20%がベルベル人で、ベルベル人はカビリー地方のカビール人をはじめ、シャウィーア人、ムザブ人、トゥアレグ人など4つのグループに分かれています。

 わずかにフランス人(ピエ・ノワールの残留者=アルジェリア独立までのフランス領アルジェリアに居た植民者のこと)も存在します。

 独立時点までのピエ・ノワールの人口は約100万人だと推されます。

 南部の砂漠地帯には少数派の約150万人の遊牧民(ベドウィン)やスーダン系黒人が住み、難民キャンプには、西サハラからのサハラウィー人が46,000人が居住しています。

 この国の地理ですが、国土の大部分をサハラ砂漠が占め、乾燥した平原地帯となっています。

 北部には2000m級のアトラス山脈が走り、地中海沿岸は雨量も多く、草原なども広がり、国民の約95%がこの地域に居住しています。

 地中海の対岸にはスペイン、フランスが存在し、一見して日本より相当南の緯度にあると思われがちですが、首都のアルジェは新潟県南部や石川県中部、長野県北部や富山県北部や栃木県北部や群馬県北部や茨城県北部とほぼ同じ緯度です。

 この国の歴史ですが、新石器時代の住人はタッシリ・ナジェール遺跡を遺し、紀元前には内陸部にベルベル人が存在し、沿岸部にはカルタゴの植民都市が存在しましたが、ポエニ戦争を経てカルタゴは滅亡し、ベルベル人のヌミディア王国もユグルタ戦争やローマ内戦を経て、最終的にユリウス・カエサルの征服によってローマ共和国の属州となり、その後ゲルマン系ヴァンダル族や東ローマ帝国の征服を受けました。

 8世紀にウマイヤ朝などアラブ人イスラーム勢力が侵入してイスラーム化し、アルジェリアには内陸部にルスタム朝が栄え、イスラーム化と共に住民のアラブ化も進み、11世紀のヒラール族の侵入によって農村部でのアラブ化が決定的になったのです。

 16世紀に入ると東からはオスマン帝国の、西からはスペイン帝国の進出が進みました。

 1830年にフランスがアルジェを占領し、1847年にフランスは全アルジェリアを支配しました。

 第一次世界大戦が終わると独立運動が激化し始めました。

 第二次世界大戦が終結すると独立運動が再び激化し始め、1954年には現地人(アンディジェーヌ)と入植者(コロン)の対立に火が付きアルジェリア戦争が勃発、100万人に及ぶ死者を出したのですが、アルジェリア戦争中の1960年代にはサハラ砂漠でフランスの核実験が行われました。

 196275日にアルジェリア民主人民共和国として独立を達成し、84日に誕生した初代のベン・ベラ大統領は社会主義政策を採り、キューバ革命後のキューバと共に非同盟運動と世界革命路線を推進しました。

 その後もアルジェリアの政情は不安定で、現在に至っています。

 ここからアルジェリアの観光案内に入ります。

 まず、アルジェのカスバです。

 アルジェのカスバは、アルジェリアの首都アルジェにある旧市街の一角です。

 カスバとはアラビア語で「要塞」という意味で、16世紀に地中海を縄張りとしていた海賊がこの街を造ったそうです。

 カスバの見どころは街全体の珍しいランドスケープにあり、高低差が118mもある大地に、家々が互いにもたれかかるように建てられています。

 街の下から細い石畳の坂道を登っていくと、宮殿やモスク、市場や工房があるので、現地の人々の暮らしが垣間見られ、天気の良い日に展望台まで行けば、地中海が一望できます。

 次に、ジェミラです。

 ジェミラは大変保存状態の良いローマ帝国都市の遺跡として、1982年世界遺産に登録されました。

 ジェミラには、様々な神殿、3000人収容できる劇場、集会場、寺院、大浴場、公共トイレ、市場などの跡が残されています。

 この都市が滅びたあとに訪れたアラブ人が、都市建築の美しさに感動し、アラビア語で美しいという意味の「ジェミラ」と名付けたそうです。

 最後に、ホガール山地です。

 ホガール山地は、首都アルジェから1500kmのサハラ砂漠にあり、別名アハガル山地とも呼ばれています。

 標高は平均800m以上で、アルジェリアで一番高いタハト山があります。

 めったに人が近寄らず、侵食による奇形の茶色い岩々が広がるこの高地は、まるで月に降り立ったような風景だと言われていて、ここはかつてスーダンから地中海へ向かう商人たちが通る道でした。(地球の歩き方=k)

 

 次回もマグレブの国々を個別に紹介します。

 引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )

アバター
2022/06/27 14:55
それに近いと思います。
本来の意味でのカスバとは、オスマン帝国領下の16世紀において、アルジェの丘に建てられたオスマン帝国の太守の城塞のことだそうです。
アルジェリア戦争を描いた映画「アルジェの戦い」では、カスバは独立運動に参加する人々が住む街として描かれ、撮影は実際にカスバで行われ、多数の住民がロケに参加したそうですよ。
アバター
2022/06/24 07:21
戦争が起こるたびに
カスバのような街ができるんですね



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