Nicotto Town


ガラクタ煎兵衛かく語りき


架空の兄(前編)




私に兄はいない
その前提で話を進めましょう
(だからここからはフィクションです)




我楽多煎兵衛より2年前に
この世に出でし男子が存在することとなった(後から考えれば)
当然、誕生の後には喝采の声が炭鉱街に溢れまくったはずだ
『ああ、皇太子がお現れになった!』
父はまったく資産は無かったが、人望は厚かった
狭い地域ではあるが、微かなニュースに成る程だった



さて、その2年後です
私が(その炭鉱街の)皇太子として生を天から授かった
『なんかおかしいな?』と自己の存在基盤に疑念を覚えた
幼少の時の、ある意味不安を母に尋ねた時のエピソードです



「うんにゃー、にーちゃんてなに?」
母は応えてくれました
「お前のために先にいったんですよ」
「うんにゃー、にーちゃんいないの?」
母は応えてくれました
まるでこんな事を想定していたかのように

「にーちゃんはお前を待っているのよ
でもまだ早いわ。それでもすぐに逢えるのよ」







にーちゃんをプレヴィーユしましょ


頑強な体
彫りの深い顔面
縮れっ毛(巻き毛と称したら恰好つくね)
鼻は高く眉毛濃い
指長い
体臭薄い(多分)
しつこい
頑固




待っている?、にーちゃん
もうすぐ逢えるのかな?
どんな事情があって貴方は戸籍に残る寸前に
存在を消されたのですか?
これはフィクションですよね?



ふむ
当時の役所の戸籍課、対応(記録記載)
「それは※※※※※※※※」
(含む守秘義務)
(テキトー)




にーちゃん、もうこうなったら
フィクションでも、なんでもいいから逢いたいよ
こんな《架空》なんていう枷はいらないよ!



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《母のモノローグ》



だから最初から架空って云ってるでしょ?
あなたにお兄さんは居ません
あなたは最初っから初めての男の子なんです
お父さんと私の初めての男の子なんです
皇太子なんて話、他に知りません


そうですよ、私はお嬢様です
そうしてこんな汚い町に嫁いだけども
あなた達を育てて
はい、こう云われたのを知っていますよ
<ああ、札幌から来たお嬢様が、重たい荷物を担いで
またあの急な坂道を登っているよ>
<でも、くにさん(初登場、いや、3回目かな)とこだから大丈夫でしょ>
とも云われました


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くにさんについて言及します。
言わずとしれた私の祖父です
名を国松といいます、だからくにさん

祖父を一言で評すれば”優しい人”でした
父を一言で評すれば”厳格で強い人”でした
私を一言で評すれば”優しいだけの人”です(一応現在形)

その最期の迎え方も対照的です

祖父は70歳半ばまで畑仕事や鶏飼育や毎朝の家のストーブを準備し
ある朝突然倒れ、翌日他界しました

父は70歳の手前まで働いてくれましたが
ある朝突然倒れ、7~8年寝たきりになりました
その大半は意識がありませんでした
その間、かって汚い川のある町に嫁いできたお嬢様は病室に
半分泊まり込みのような状態を続けました
不肖の息子(私)はその半ばあたりで東京から逃げ帰り
回復の見込みのない父を看病し続ける母と関係を改善し
そのときが来たときは、二人で喪主と施主として父を(夫を)送りました

葬式では遺族側の挨拶が普通あります
高女出身の閨秀である母は、しかし大勢の人前で話すことを苦手としていました
(当時影の委員長の異名を誇った母の元には、その晩年に至るまで
たくさんのおば様、乃至御婆様が我が家に旧友として頻繁に訪れていらっしゃいました)
ある日、(多分母がトイレに行った隙に、彼女達から聞いたのでしょうか)
【あの人(あなたのお母さま)はそういうことが苦手なのです】

施主である私は既にそれを心得ていました。でも、私もまだまだ未熟でした
結局、父の葬儀での施主の挨拶はテンプレに任せたのです





それから幾星霜、いや、十数年後、当時は病巣の陰りも見せていなかった頃
母は私に、(それが食卓なのか、いや、おそらく日常の一コマでしょうけど)
【私の葬式のときは、当たり前だけどお前に任します。どうか、お願いします】


影の委員長が全権委任してくださった!




こっからは自慢話になるので、そういうのが嫌いな人はソッ閉じでお願いします
さすがにその頃は若気の至りも抜けていて、母が(少女漫画で)
美少女の典型的な死因⁽白血病⁾に80代後半で捕まっちまったという、医師の宣告を
母の病室からかなり離れたほぼ密室で主治医から聞いたときには腹を決めた


よっしゃ
最高の見送りをしちゃる!(何弁?)

気休めの(微量な抗がん剤)の注射は要するに時間稼ぎ
(量が多いと逆に負担がかかる)
たまには家に帰れたね
最期まであなたは一人で風呂に入れたね
どんだけプライドが高いんだよ!
だから人前で話すことが嫌だったんだね!
今ならわかる





最終的には負担と苦痛を減らすためのモルヒネ投与をお願いした
致命的な感染症のリスクを減らすための
減圧室と無菌室の処置はそれでもとうに間に合わないのはみんな知ってた


そんなある日、散髪しに行った
ちょうど洗髪をされているときに腰のケータイが震えた
私の髪を洗ってくれてる理髪師さんにことわりをいれて
半分濡れた髪がかぶる右耳に受話器(例のアズキ色のケータイ)をあてた
私に、かって英国製の紅茶を送ってくれた三番目の姉の声が悲鳴をあげていた
【何してんのよ!早く来て!もう、早く来て!お母さんが!】

その頃、母の死期が近いということで、病室には4人姉弟が代わる代わる詰めていた
同時に、私は別の病院で私自身の精巣腫瘍の診断が下されていた
数日内、いや、即日の入院、手術を要求、いや、勧められていた
三番目の姉は遠く浜松から実家に帰っていた


散髪の全ての行程を終えぬまま、もちろん清算を済まし
店を出てタクシーを捕まえ、10分後には母の、病室にいた
間に合わなかった







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