Nicotto Town


ガラクタ煎兵衛かく語りき


44年前のある同人誌のコラムから



 同人誌の名前は<CADUCEUS>、1978年3月発行で通巻5号にあたります。
私は少女漫画もどきなものを描く傍ら、当時の少女漫画雑誌の(おそらく)
半分以上に目を通している”おたく”の”ハシリ”でございました。
当然、コラムという形で強引に文章も載せてもらいました。
今回は、原文のママ、それを電文化したいと思います。


 興味のない方には申し訳ありません。
些時の間お付き合いくだされば幸甚この上ありません。



 それでは、44年前の私の拙い文章を生暖かい目でお読みくだされば幸いです。
本当に原文のママです。

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 まにゅあ   「奇妙な味って 血の味なの?」



 思うに漫画雑誌を一冊買って、その中におさめられている作品全部が
甘ーい恋のお話で占められているのも悪いことじゃない。いわゆる
正調少女漫画は、他の、たとえば少年マガジンやガロなんぞにはまず
載っからないのだから、そういう意味では「恋のお話が読みたかったら
少女漫画を買おう」という公式を満たしてくれるのだから文句はない。

 ところが問題点はやっぱりあるのだ。ひとつは書き手自身の問題であって、
たとえば竹宮恵子さんのように(ある程度)少年漫画に発表できる機会を
持ってる人ならいいのだけど、全体から見ればなきにひとしいこの現状で、
「変わったものが書きたい」という人は必ず存在するのだ。何もここで、
大上段にふりかざして「存在するのだ」と言うのがはずかしいぐらい、
これはあたりまえのことなのだ。

 次に編集側の問題で、読者は往々にして漫画を読まない人にくらべて
鋭い感受性をもっている。そうなるとその感受性にたちうちするには
良質の作品は勿論だが、多様性にたのむ傾向もたしかにあるのだ。
たとえば「ポーの一族」が連載されていたとき、アンケートはひどい成績でも、
編集側は「こんなテーマはいままでなかった。ええい。連載じゃ。
続けさせろ、続けさせろ」という意識があったのだろう。
新しいジャンルの開拓という意識もね。

 そして最後に、当然の読者の意識の問題。
「いろんな話が読みたい」結局はこれにつきるようである。

 今回とりあげるのはこういった作品、江戸川乱歩さん名付けの親である
”奇妙な味”。(長ーい前おきじゃーっ)





 フラワーコミック(74年冬の増刊)に掲載された樹村みのりさんの
「ヒューバートおじさんのやさしい愛情」がなんと、プチコミックの
「樹村みのり、ささやななえ特集」に再掲された。やはり反響が
大きかったのでしょう。読んだ人も多いと思うからストーリーは書かないけど、
最終的結末をああいった形で読者にゆだねるのも、今後ふえていく形式
だと思う。ただ対象とする読者層のことを考えると、
あまりふえても困るのだが。



 もう寺山静さんも過去の人になったようです。74年、週コミ13号に載った
「アルジャーノンに花束を」がやっぱり代表作になったみたいで、他にも
「死神ですのよ」なんてのもかいていたっけ。彼女は第3回別コミ新人賞で
佳作にはいり、同期に正田ひとみさんとかがいて、みんなポシャったようです。
この「アルジャーノン、、」は24Pで、いわゆるおそろしマンガなわけですが、
同名の小説、ダニエル=キイスの「アルジャーノン、、、」とは関係ありません。
№26の××××さん。残念でした。       (考慮発動中)

 芸術院みたいなアカデミーにいるダニーは
15才の天才的な抽象の塑像を専門とする少年。
そこに新入生としてやってきたアルジャーノンは油絵科にはいった。
ダニーはアルジャーノンのセンスや力量に嫉妬し、おまけに恋人のベルまで
とられたものだから逆上してアルジャーノンを刺し殺してしまう。
そしてダニーはセーヌ県学生美術展に抽象の塑像を出品し、入賞する。

 カメラのフラッシュライトにつつまれてダニーは勝利の笑顔で会場を出ていく。
ベルはつぶやく。「アルジャーノン、どこへ行ったの?」
その時、塑像が割れ始める。そして中から人の手が、、、
ベルの悲鳴に会場の人々はふりかえる。
会場の外ではダニーがカメラに向かってポーズをとり、会心の笑みを浮かべている。

 このラストシーンはまったくよくできていて、もしこのマンガを成毛厚子さんが
描いたとしたら、死体全体がおどろおどろしく出現し、ダニーは「くそ!
見つかってしまったか!」と悪人としてチンプな言葉を吐いて自殺でも
するのだろうが。
つまりこの場合はラストの笑いが奇妙な味になっているのです。




 次はかのあまりにも有名な漫研誌”Queen"の2号に掲載された槇村さとる氏の
「ガラスの墓標」。この作品はいわゆるボツ原稿でありまして、
また、別マに載った同名の作品とはストーリーはちがいます。
なぜこれがボツになったかといえば、その、、、、あまりにも、
ものすごいわけです。つまり、、、、ありていに言えば、、、腐乱死体が
でてくるのです。ギムナジウムみたいな男子生徒寮で、同室の友人を
愛するがあまり殺してしまい、その死体処理に悩む。
うだうだと彼は日をすごし、やがて死体は悪臭を放ち、腐った汁が
ドロドロとベッドから流れ出す。

 別マの編集さんが「ずいぶんきたない少女マンガだ」と言ったそうだが、
とにかくその通りなのだ。でもマニアとしてはここまでやってくれて
うれしい、、、というのはデカダンかしら。


 ガラッとかんじは変わって今度は有吉京子さん。74年週マ21号の
「キャベツ畑のこどもたち」。本人はSFのつもりで描いているんだろうけど、
それはまあいいとしてラストシーンで赤ちゃんが飛ぶところで
救われているのです。あとは言及の値なし。


 うわ~ん、ページが余っている。う~~ん。しょうがない大島弓子さまの
「つぐみの森」のラストで、殺された女学生の手紙があったけど、
ボクの解釈では自殺のような気がするのです。
望都様の「アロイス」のラストもあいまいで良いのです。



 今回はなんとなく内容がなかったですなあ。文体もあっちゃこっちゃ
行ってたし。次回はまた別の面から、新人の状況について
書いていきたいと思います。
              以上    文責 二十歳代の我楽多箭兵衛


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 44年経ってなんも進歩しとらん
ホントに昔はバカだったけど
今もバカなのでもうどうでもいい

 面白いことに口調とか文体が何も変わっていない!
三つ子の魂百までなのかな。


 次回はキレッキレッな
いや、もう寝よう





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