Nicotto Town


ガラクタ煎兵衛かく語りき


東郷冬美(とうごうふゆみ)




 今もどこかに(多分)生存している女性ベーシスト(のはず)だ
年齢不詳、かつ面(顔)が詳細に割れて(知られて)いない
だから追いかけようも無く、調べようも無く、ユキウサギよりも実在性が無い
所詮、wikipediaは、覚悟を決めた存在からはフリーでいられるツールに過ぎない




 夫が一方的な自己申告で、私より先に逝ってしまった。
当初は、思い当る事があったので、表面的には冷静さを装えたが、
時が経つにつれ、悲しみよりも怒りの感情が増してきた。

               『何なのよ!』

 よし、分かった。すぐにそっちへ行くわ。同じ土俵に立って、
思いっきり、恨みつらみを浴びせかけてやる。許すかどうかは、貴方次第よ。
いや、絶対許さないから。

 パソコンでその方法を探してたり、辺りをギョロギョロ見渡して、
それでいて、何も見えていなかったり。


 そんな時だ。先輩から数年振りの連絡が入ったのは。


 「ふゆみーん? お久しゅう。元気? 」
 以前と変わってない、天真爛漫な高之坂菜々先輩の声が、
ゆらめきながら希薄になっていた東郷冬美の存在を現世に強い力で戻した。

  「御変わりなーい?」

 夫の死を知らせなかった不義理を思い出した。当時はそれどころじゃなかった。
でも、もう、もう、今は大丈夫。大丈夫だと思う。
かって最も尊敬していた存在のギタリスト本人の肉声が、
昔から遠慮会釈という感覚の無い、奔放そのものの存在が自分に話しかけている。
そして、次の言葉は更に新たな力を冬美にぶっかけた。



 「まだできる? また支えてくれる? よっちゃんもいるのよ!」



 かって自分は史上最高の女性ベーシストだった。それを数十年振りに思い出させてくれた。
もう指のタコは消えかけていたけど、いわばあれは自転車みたいなもの。
一度乗れたらもうコケない。一度ビートに乗れたらもうハズすことはないんだから。
それによっちゃんがいたらもう完璧だ。
それでも、冬美は、一拍置いて、(深呼吸しながら)こう訊かずにはいられなかった。


 「何するんですか?」


 菜々の、かって会心のプレイを終えた瞬間の彼女の表情を、
一番近くで見届け、一番近くで共有し、聴衆の圧倒的な歓声を同時に受け止めた、
冬美にとっては忘れられない表情が通話先でこう宣告した。


 「やるのよ」


 PS
 東郷冬美は前期高齢者で、有難いことに現在御存命である。





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