鏡開き・蔵開き
- カテゴリ:占い
- 2022/01/11 17:01:44
ニコットおみくじ(2022-01-11の運勢)
こんにちは!全国的に雨で、九州から関東の山沿いは雪。
北日本は夕方から雪で、北海道東部は大雪になる。
沖縄は朝方は雨でその後は曇り。
気温は平年並みか低い。
【鏡開き・蔵開き】 かがみびらき・くらびらき
☆1月11日は鏡開き、蔵開きをする日となっています。
<概要>
〇鏡餅(かがみもち)
神様へのお供え物です。
元旦にやって来ます歳神様の拠(よ)り所です。
@由来
諸説ありますが、三種の神器の鏡に形が似ていることが有力な説と
いわれています。
@無病息災
お正月が終わり神様が帰られました後に、
無病息災を願いまして、お雑煮やぜんざい等にしていただきます。
鏡餅は大きすぎますし、硬いですので、
そのままで食すことは出来ない為に、小さくして分割をして食します。
★刃物
この時の御餅は、刃物を使用することなく、
本来は手や木槌で小さくします。
刃物を使用しないのは、鏡餅が武家の文化だったことに由来を致します。
武家にとりまして「切る」は切腹をイメージすることになる為に、
縁起が良くないということで、手や木槌でお餅を割っていました。
☆縁起
「割る」という言葉も縁起が良くないということで、
末広がりの意味のあります「開く」が使用されまして、
鏡餅を割って食す行事を「鏡開き」と呼ぶようになりました。
〇蔵開き
年末に閉じました蔵を、新年になりまして初めて開ける日のことです。
本来は神主さんをお呼び致しまして、商売繁盛を祈願します。
蔵開きと鏡開きとは別々の行事ですが、
歴史の流れの中で、同じ日に行われるようになりました。
〇時期
@鏡開き
武家の風習を引き継ぎましたものです。
その為に・・・
1月20日に具足にお供えしたお餅を食しました。
*具足(ぐそく)・・・武具
江戸時代初期までは松の内は1月1日~1月15日まででした。
*松の内(まつのうち)・・・お正月の期間
20日が三代将軍の徳川家光公の月命日になりましたので、
鏡開きを1月11日に行うようになりました。
@通達
神様が御餅に宿っている時に鏡開きをすることになりますので、
政府は松の内を1月7日までとするように通達を出します。
☆従う
これに従いましたのは江戸周辺の地域だけでした。
*関西地方では、現在も1月15日までを松の内としています
地域もあるようです。
それらの地域では、1月20日に鏡開きを行っています。
@蔵開き
商家は初荷のあります1月2日が蔵開きです。
武家は新年の吉日に米蔵を開きました。
★大安
鏡開きが1月20日から1月11日になりますと、
この日が旧暦で大安になるということもありまして、
蔵開きもそれに合わせまして、1月11日に行われるようになりました。
☆日本酒
秋に蔵開きをする酒蔵もあります。
酒蔵の蔵開きは年始の蔵開きとは異なりまして、
日本酒の造り始めや造り終わりに行われます。
現在では日本酒は1年を通じまして製造をされる所もあります。
江戸時代のルールでは・・・
日本酒は「冬に造るもの」と
決められていました。
10~3月までの期間が酒蔵の蔵開きの期間という風習が残っています。
問題 1月20日が徳川幕府3代将軍の徳川家光公の命日ですが、
その家光公がお作りになられました法律はどれでしょうか?
1、参勤交代の義務化
2、刀狩り
3、壬申戸籍(じんしんこせき)
〇徳川家光公
慶長9年(1604年)徳川秀忠公とお江の方様との間にご誕生されました。
*徳川秀忠公・・・第2代将軍
徳川家康公の三男です。
*お江の方様・・・織田信長公の姪です。
母:お市の方様(浅井長政公の妹君)
姉:淀殿(豊臣秀吉公の奥様)
次男ですが、長男が早逝(そうせき)しました為に嫡男となっています。
@家光公の幼名
徳川家康公と同じ竹千代君です。
@幼少時
幼い頃は病弱だったといわれています。
@将軍職
元和9年(1623年)20歳の時に父から将軍職を譲られます。
正式に3代将軍になりました。
@奥様
公家の名門であります、鷹司(たかつかさ)家の娘様の孝子様です。
残念ですがお二人の仲は険悪だったようで、
事実上離婚状態のまま一生を終えたようです。
@言葉
「祖父(家康公)は皆の力を借りて天下取りを果たし、
父(秀忠公」は皆の同僚という立場を経て将軍となった。
しかし自分が生まれながらにして将軍であるのだから、皆は臣下に過ぎない。
不満があるなら相手をするから、領地へ戻って良く考えると良い」
★意味
幕府の権威を、ある程度のハッタリや強気を利かせて
誇示したいが為に。
若造に過ぎないと感じた・もしくは感じている勢力に対しまして・・・
東北の雄であります伊達政宗公が・・・
「誰もそのように思うような輩はおりませぬ」
このように諸大名の代表と宣言をしました。
*これに関しますと、家光公と政宗公が打った芝居だったのではというような
説もあるようです。
家光公は政宗公のことを・・・
「伊達の親父殿」
このように慕いまして、政宗公が病いに倒れました時にも、
将軍であるにも関わらず、見舞いに訪れた程の親密でした。
@取組み
幕府の役職につきまして・・・
・老中
・若年寄
・奉行
これらを形に制定しました。
そして将軍を頂点としました体制づくりに取り組みました。
ヒント 〇正解につきまして
元々は慶長20年(1615年)に大坂の陣の直後、
父秀忠公が発布たものです。
@内容
大名や旗本等の武家に対する統制を定めた法律です。
(例)
・武士の心得
・城の築城
・婚姻
・家臣の待遇
これらは一部ですが多岐にわたりました。
正解の法律は、家光公がアレンジを加えまして、
付け加えたものです。
諸大名に対しまして1年おきに自分の領地から江戸に
出仕させる義務のことをいいます。
正室とお世継ぎの男子は、江戸の大名屋敷に
通年大罪させておかなくてはならない。
*人質の意味合いもあったともいわれています。
☆領地の費用・滞在費用
全て大名の自己負担です。
その為にどの大名家も費用の捻出にはご苦労されたといいます。
★期日厳守
一日遅延ごとに、損失はかなりあったといわれています。
家光公は将軍と大名が主従関係にあることを
強く示しました。
☆効果
・各地の宿場町の発展
・橋や道路のインフラの整備
江戸と領地の往来により、互いに色々な分化が混ざり合いました。
お分かりの方は数字もしくは家光公がお作りになられました法律を
宜しくお願いします。
ノエママン、ももさん、御忙しいお時間帯にこうしてコメントとお答えをどうもありがとうございます。
火曜日をお疲れ様です。
ノエママン、はい、どうも教えてくださりましてありがとうございます。
そうです、2代目の秀忠公がお作りになりましたが、
時代の変化の為に、家光公がさらに変化させたものです。
素晴らしいですね、正解です。
はい、どうぞノエママン、疲れた時は休憩等も必要な場合もです。
どうぞ素敵な今夜、そして水曜日をお過ごしくださいませ。
ももさん、 はい、正解です。
実は私も包丁とフォークを使用しました。
あはは、同じですね。
プラスチックのカバーがあるタイプの鏡餅でしたので、
素手や小槌では不可能です。
まして小槌は持っていませんので厳しいです。
しっかりと食したことで2022年は無病息災です。
お二人共、重複しますがお忙しいところどうもありがとうございました。
健康な水曜日をお過ごしくださいませ。
鏡餅とっくに刃物で切って食べてますが(^_^;)
天赦日+一粒万倍日の最強吉日1月11日、オツカレちゃ~ん☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレ♪
(。´・ω・)ん?武家諸法度だべか♪(^_-)-☆
1、参勤交代の義務化☆彡(`・ω・´)b
週ド真ん中水曜も、無理せず無茶せず、体を労わりつつ、ガンバルンバ~☆彡(^_^)v