いのち短し 恋せよ乙女
- カテゴリ:きせかえアイテム
- 2021/12/30 09:27:47
いわゆる、ゴンドラの唄という曲名がついておりそう呼ばれている曲ですがいつ知ったのか覚えてません。
気付いたらメロディを知っており、気づいたら「いのち短し 恋せよ乙女 赤き唇 あせぬまに」の部分だけ歌詞を知ってました。
年末あまりにもやること多いけど手をつけたくなくて、現実逃避にふと思い立って調べてみることに。
そうすると分かったのですが、これって約100年前の曲なんですね。
歌詞を知ったのはたぶん、「はいからさんが通る」だと思うんですがその前から知っていたメロディはどこでと聞かれると何とも言えず。(阿部寛の初演なこともあり初々しい演技を見ることができるので「はいからさんが通る」二重の意味でおすすめです)
まぁこの手の曲関係は、大方父か祖母から聞かされたものか…。
いずれにしても、しっかり記憶に記憶がないまま刻まれて生きてきたわけですが、昨年10月ミュージカル「生きる」にてそれまでメロディと一部の歌詞だけの存在だったこの曲が「ゴンドラの唄」として私の記憶に残るのでした。
それまでは、特に高校生の頃は、若い女の子への歌でJK向けだな、今の私じゃん。程度の軽い認識でいましたが、黒澤明の「生きる」では新しい価値づけがされていると感じています。
若い女性へのメッセージだけでなく、全ての人に向けて、いのちは短いから恋する乙女のように夢中になれる何かを見つけろというメッセージへ。
歌詞は恋せよ乙女にもかかわらず、そのようなメッセージ性を持たせるという意味でも、主人公のおじさんが死の間際に歌うのが哀愁漂い心に響きます。
ゴンドラの唄、調べると大正時代ではヒット曲ではなく、じわじわと穏やかに好んだ人たちによって歌われていたようです。それが黒澤明の映画「生きる」(1952年)にて若い女性以外の人たちも含む全ての人へのメッセージとなり、今日のように広く知られるようになったとか。
70年の時を経ても、ゴンドラの唄への認識の仕方が黒澤明の一作品によって変わるとは、なんともしてやられたの気持ちになります。
滝廉太郎の「花」が好きなことを考えると、まぁいいメロディだなと朧気ながら覚えていた過去の自分に納得するところがあります。朧気ながらも、いつからか記憶に残っていたこの曲が100年我が家で愛され続けてきましたが何年後までこの曲は生き続けるのかと考えるとおもしろいです。
フリマでずっと欲しかった手前持ちの傘ゲットしました!嬉しい!上手に合わせられるゴシックがなかったのでロマンに路線変更
異世界系ってことであんな感じなのかもねwwww
あとで見てこよwww
そこは確定!ポチッ
楽しそううううう、集合はゆえちゃん宅で!
また着替えられるぜ