永遠の旅人
- カテゴリ:人生
- 2021/12/23 21:38:12
でもって、書くか書かないか迷った今日のこと。
「会員制海洋レジャークラブ」を去年、退会された元会員様が、
自殺されたことを聞きました。
よく知っている方です。
その訃報を聞いた時、目から鼻に抜けて、
次に心臓からもっと深い内臓へと、何かが突き抜けたように感じました。
そうですね、「ショック」と言われるモノが、
まさしく突き抜けて落ちて行ったように感じました。
自暴自棄な人でした。
ええ、その人を語るとすると、まずその言葉が思い浮かびます。
そして次に、カッコつけたがりで、自分をイカス夢追い人だと思っている。
間違いや、失敗したことを認めません。
いえ、職場でのことは知りませんが、おそらくそんな感じだったでしょう。
「俺は、こんなんやねん。」と斜に構えてニヒルを気取ります。
そして結局、それが自分を追い込んでいってしまうのです。
なんていうか・・・
助けを拒むのです。
自分の思いのたけを、吐き出すことができないのです。
そして酒に逃げ場を、求めていました。
酒量はだんだん増えていって、うちに遊びに来ていても、
もう酒が回り過ぎて、ボートを出せないことも度々でした。
うちを退会されるときも、
「日本一周の旅行に出るから」と言っておられました。
別にそんな広い国でもないので、
日本一周くらいだったら、
帰って来てまたボートに乗ればいいのにと思っていましたが、
たぶん、あれは覚悟の後始末をしておられたのでしょう。
彼の言う「日本一周」は死出の旅路の暗号だったのです。
彼は彼の美学で、死を選択したのだと思います。
今はどうかは知りませんが、わたしがAmericaに住んでいた頃、
自殺者が出るのは、クリスマスの夜が一番多かったです。
家族で祝うクリスマスの夜は、孤独な人を絶望へと誘います。
目に入るイルミネーション、聞こえてくるジングルベル、
すべてのモノが、自分に孤独と絶望を押し付けてくるのです。
自分の幸せは、人と比べてはいけません。
自分の中に、幸せの温かく小さい灯を見つけてください。
それは誰と比べて、光輝くものではないのです。
クリスマスの夜は、誰かと比べて、自分が孤独で惨めに感じる罠なのです。
死のうと思っていた次の日に、
もし幸運にも生き永らえていたのなら、
あなたの胸の中の、小さい灯りを消さないように大事にして、
誰か他の人のタメになるような・・・
荷物をもってあげたり、
優しく微笑むだけのために生きることができるよう、
誰かと比べる悪い癖を、やめてください。
今日の訃報の主は、笑顔の素敵な人でした。
あなたが選択した「日本一周」なので、
わたしは、今日もどこかで、
あなたは旅行している最中であると決めつけます。
だから、泣きません。
そうは言っても優しいはなこさんにはショックだったと推察いたします
その人は輪廻があるのならカルマを背負ってもういっぺん出直しです!
「日本一周」は私もしたくなる時期が過去にありました
時々のぼりを立てて自転車なり歩きなりリヤカー引いてたりしてた若者も見ましたから・・・
追記:
タイトルはそういう意味だったか・・・
クリスマスは孤独を感じることも無く気がついたら過ぎていました!(笑)
この方が 何を考えて 死を選択されたのかわからないので、辛いこと 絶望することがあったのかもしれない。勝手なことを言ってはいけないと思うのですが...
自殺する人 した人を非難する人って世の中にいますよね。その気持ち 私もわかるんです。命は大事にしようよ って...だけど、死を選んでしまう人の思い...これも少しわかるんです。
死を選択するその原因。どんなものが思い浮かびますか?いじめ、借金、虐待...でしょうか。辛い出来事があって、そこから逃げたくて 死を選ぶ。これは、容易に想像できると思うんです。
こういう原因なら 本人は辛くても、いじめられてる学校をやめて転校するとか、破産宣告するとか他に逃げる方法はあるかもしれない。辛いその時をなんとか凌げば、楽しい未来があるかもしれない。
だけど、そういう原因になると思われるきっかけが無いのに、死を選んでしまう そういう病気があるんです。
そういう人に、「世の中には生きたくても生きられない人もいるから、自殺なんてするな!」「生きろ!」「せっかく授かった命を大事にしろ」って言葉は、全く響かないんです。
なぜなら、生きることに 生きにくさ、生きづらさを感じているから。
暴力を振るう人から逃げたり、法的に借金から逃れるような逃げ道がない、『生きてること』に苦痛を感じてしまうようになると、その苦痛から逃れるには『死』しかないんです。
昨年 娘がその状態になりました。
娘を死なせないために、必死に向き合いました。病院に通い、その病気に対するお薬をもらい、出来るだけ一緒に過ごす。娘は、学校の先生やお友達に本当に恵まれて、今は 元気に専門学校に通っています。
病気によって死を選択させられている人がいるということを知っていただきたくて、書かせていただきました。
下手な文で 長くなってしまい すみません。
私自身、3次元で涙する事は無くなりました。
簡宿管理人やってた5年の間に両手足の指では足りない人数を看取った関係で完全に感情が麻痺ってるのでしょうな。
但し、2次元の作品では涙する事が多いですね。
人間が演じる実写では涙流さなくてもアニメではって。
私個人の見解だと死に際に悲しまれて涙流されるのは好きでは無く。どうせなら「やっとクソ野郎が死んだ」と嬉し涙流された方が気楽です。(父親亡くなった際も涙すら流さなかった人でなしです)
お悔やみ申し上げます。
『自分の幸せは、人と比べてはいけません。』そうですね。まさにその通りだと思います。
非常にまれな体質な人間からすると、「死ぬ」のと「遠くにいる人間」と
どう違うのかというところから全くよくわからないのです。どうせ自分も必ず死ぬし
その時に誰かに泣いてもらいたいかというと、全然そう思わないし。
逆に「私は十分面白い人生だったから楽しく見送れ」と
言ってやりたいと思ってます(笑)
すみませんー、ホント「死んだら悲しい」って感覚が3次元で発動しなくて。
2次元の煉獄さんなら大いに涙するんですが(^▽^;)
もちろん自分と他人を比べずに生きていられる人など本当に稀で、そうしないで生きていくことは極めて困難です。
だけど、自分に無い幸せよりも自分にある幸せを大切にする生き方がどれだけ尊いものか私は知っています。
だから少しでも比べることを減らせるよう、踠いていきたいのです。
長文失礼しました(-_-)
お悔やみ申し上げます。
昔、聞いたことがあるのです。
「苦しみながら生きていくのと、死で全てを終わらせるのはどちらが幸せか」と。
私は家庭内の事情から自殺…まではいきませんでしたが、「生きているのがつらい」と感じていた時期がありました。
当時はまだ小学生でしたが、小さな頭で色々と考えたのです。
「このまま生きたところで幸せだと言える日はくるのか」、「死んだらどうなってしまうんだろう」……。
結局死ぬのが怖くて自殺はせず今日まで生きているわけですが、「死にたい」と言っている人を見ると昔はまっすぐに言えた「死んじゃダメだよ!」が言えなくなってしまいました。
もちろん生きていればいいことだってあります。命を粗末にすることは絶対にあってはいけません。
だけど言えません。
ずっと、つらい思いをしても走り続けて、それでも疲れてしまった人に「頑張ろう」なんて言えません。
その人は私が想像できないくらい長い時間、何度も考えることを繰り返してその結論を出したのでしょう。
外側の人間がその結論を覆すことは容易ではありませんし、生きる道を選ばせたところでさらにその人が苦しむことになるのではないかと思うと怖いのです。
「苦しみながら生きていくのと、死で全てを終わらせるのはどちらが幸せか」
今になってもこの問いの答えは分かりません。
ですが、今は少し考えが変わりました。
些細な変化ですが、悪口を言われても笑い飛ばしたり、そもそも耳に入ってこないほど趣味に没頭したりと、「つらい」と思うことが減りました。
美味しいものを食べたり、友人と遊んだり、先生から褒められたり…。
もしあの時死んでいたらこの未来は消えていたのです。
「死にたい」と言っている人を見たら、まだ迷うことがあるかもしれませんが、その人が笑っている未来があるかもしれないと信じられるのです。
自殺の問題は非常に複雑で難しいです。
「生きていることが苦痛になるほどの絶望」と「前に進んでいけば巡り会える幸せ」を見てきても正解は分かりません。
でも自分と他人を比べたり、他人を悲しませるような生き方を美しいとは思わないのです。
私の様に自暴自棄を通り越してある種の悟りの境地になれば
誰かと比べる事も無くなるのですけど・・・・
愛されてる愛されてないと言う思考で言えば私は愛されてはいないでしょう。
もし私が愛される様な人間なら45年も生きてれば恋愛くらいは経験してるでしょうし。
お金や甲斐性でも持ち合わせてれば何処かのドンファン位にはなれたかもですが
残念ながらそんな物は持ち合わせて無いので仕方が無い。
ここまで全く縁がない所を見ると前世で相当な鬼畜外道な事をやらかしたので
この現世では色々やっても感謝されない人生なんだと思う事にしています。
普通、占い師や行者と言われる属性の方々って多少なりとも相談者に「希望持たせる」
と思うんですけど・・・・・・・「相当変わらなければ無理」言われまして(^^;
ガチの行者様が言う「相当変わる」ってどんなやねん!と思わずツッコミ入れたくなりましたわ。
これ、作り話に思われるでしょうがガチで言われたんです「無理」って。
何度か恋愛に発展しそうな流れも有ったらしいのですがどうやら私が脱兎のごとく逃げたらしいです。
(それこそ長距離ワープレベルだとか)
「自分から苦行するとかドMなの?」とも言われました(--;
別に私の趣味である写真も「誰かに認められたいから」と言う欲求は無し。
写真をネット上に上げると変なのが沸くのですが別にそいつに認められたくて写真撮ってないので
ガン無視です。(カメラのセンサーがフルフレームではなくM4/3なので余計にマウントされる定期)
ネットが普及してより「承認欲求」が強く出る人が増えたんですかね?
もし誰かから死にたいと相談されれば全力で話を聞き全力でサポートしますが
相談されなければ何となく死期が近いと感じても基本は放置です。(それとなく声は掛けますがね)
私が自ら死を選ばない理由なんて糞くだらない理由です。
一瞬でも痛い思いするのが嫌だからです。
自暴自棄になりやすいタイプの人の心を、健全なレベルに導いてあげられたら
どんなに良かった事かと、心が痛みます。
「自分は愛されていない」と思い込んでしまい、それが許せない。
役者さんでこのタイプは、コロナ禍で客が減ってしまった事も、自分への愛情が
減少したように感じてしまうのではないか?と感じたりします。
仕事が激減しても同じように感じて、自分が許せなくなる。
愛情への欲求が人一倍強いといういこともあるのかもしれません。
誰かに常に認めていてもらいたい。幼少期にこういった欲求が満たされないと
社会へ求めるようになっていくでしょう。
だからどうしろと?と言われると、答えに窮しますが、「苦しくても生きろ!」としか
自分は言えないかな。そのうち、自分の愛し方とか他人への愛情とか徐々に
判ってくるようになると思うんですよね。そうなったらしめたもの。幸せが次々とやってくるはず。
「一息ついて、心に余裕を持って、とにかく生きろ!」かな…
そうなのよね・・・
自殺って、本当に寂しい。やるせない。
たった一人で、だれにも見守られずこの世から去っていくんだもの・・・
せっかくの命なのに。
生きたいと思っても、どうしても生きていられない身体の人もいるのに。
もしその人が生まれ変わることがあるならば、
「逃げない」「かっこつけない」人生であります様に。