Nicotto Town


気ままなスローライフ


ゲームミュージックとの出会い 1

今までの生活すべてが波乱そのもので、その時その時を何とか切り抜けてきた私は、小さい頃の事は殆ど覚えていません。


保育園時代、小学生時代・・・とそれぞれ漠然とした内容ですが、記憶は非常に断片的です。

そんな中でも、今でも鮮明に覚えているものがあります。



小学5年生の時、私は金管クラブというクラブに入ることにしました。

クラブに入るのはどこでもよかったのですが、他に何かめぼしいものがなかったためですね。偶然と言えば偶然です。

5年生では1年中マウスピースの練習をしました。6年生はトランペットやトロンボーン、ホルンなどを演奏していたので、いつか自分も吹くことになるんだなと思い頑張って練習に励みました。

この頃から密かにクラスでいじめにあっていたのですが、それはまた別な機会に。



私は6年生でトランペットを吹くことになりました。

学校で借りられる金管楽器は沢山あったのですが、なんと母が奮発して7万近くする金のトランペットを購入してくれたんです。

とはいえかなり重いので、基本はクラブの室内に置きっぱなしにしてました(笑)
ちゃんと名前も書いていましたが、思えば盗まれなかったのは幸いでした。



その年、町を演奏しながら歩く「金管パレード」という行事に、私はトランペット奏者として出る事になりました。

他のクラスのメンバーがリコーダーやピアニカの中、金管クラブは堂々の金管楽器。いつも以上に気合を入れて取り組むことになりました。

この時に、私の今後の人生を変える・・・と言ったら言い過ぎですが、価値観を変えるような曲を演奏することになりました。



それが、あの「ドラゴンクエスト」のエンディングテーマ「フィナーレ」

ゲーム業界の音楽に革命を起こした、そして私も尊敬していたすぎやまこういち大先生が手掛けた曲でした。

今年9月、Twitterで逝去のニュースが流れた時は言葉が出ないまま、只々悲しみました。改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。


当時、私はゲームに対して「あー面白いなー」と軽く思うだけだったのですが、この曲に出会ってからは一変しました。

ゲーム音楽の世界」。自分が実際に演奏した音楽を起点に、ドラゴンクエストの音楽の世界に入り込んでいきました。

お年玉で「交響組曲ドラゴンクエスト」なるものを購入して、ゲームの中で流れる音楽が現実の楽器で演奏されている。そう思うだけでもワクワクしていました。

「中学生・高校生になったら、吹奏楽部に入りたいな」

実は密かにこんなことを考えていました。



そんな願いは叶わないまま、更に肺の手術をする程に弱り、最終的にはトランペットを手放してしまうんですけどね。



一度ここで区切ります。続きは次回に・・・

アバター
2021/12/08 19:48
>さや。さん
ほんとですねぇ・・・いい事も悪い事も、それぞれに歴史があるということですか。
アバター
2021/12/08 15:14
お互いに人生色々ありますよね…。



Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.