Nicotto Town



ヘミングウェイのことなど



『殺し屋たち』の話からいきましょう。
原書でヘミングウェイ読む契機となったのは、某作家のエッセイで、
「ヘミングウェイは原書のほうが遥かに素晴らしい」と書かれてたから。

『武器よさらば』冒頭の一文を並べて比較しており、
うーん、なるほどと納得してしまった。同時期に某SF作家のエッセイで、
英文一語ごとの受容がどのようにイメージを喚起するのか、というのもあった。

当時の新潮文庫の訳に文句をつける人も大勢いたので、
『In our time』のペーパーバックを手に入れ、辞書片手に苦闘したなぁ。
中でも唸ってしまったのが『The Killers』なんです。

アルとマックスという二人組の会話や会話での絡みかたが身震いするほど凄絶。
日本の戦後の本筋の極道は、みなこれ読んで手本にしたんじゃないかしら。
たまたまそういう方々を身近で見ていたせいか、たまらなくシビれました。

ニックを『Bright boy』と呼ぶ。悪態に『hell』『damn』が頻出する。
この味を日本語に置き換えるのは難しいですよね。今時の『Fuck』とは大違い。
英文出身の友人と訳しっこして互いに見せ合い批評したこともあったなぁ。

彼はbright boy を「お利口ちゃん」と統一してたはずですが、
アタシは「賢い兄ちゃん」「利口な坊主」「おつむのいい坊や」等々訳しわけ、
ど顰蹙を買ったのもいい思い出。意訳にも限度ってもんはありますからね。

本筋の凄みってモンを伝える最良の訳はといいますと、大脱線して、
タルコフスキーが若いころに撮ったモノクロ映画、これに尽きます。
ヘミングウェイが乗り移ったかのように見事に殺伐とした映像でした。

一番好きな短編のタイトルは近年『二つの心臓の大きな川』と改題された。
これは少し残念。旧版の『心が二つある……』というタイトルのほうが、
気楽な野宿を楽しむニックの奥にくすぶる癒せない傷を象徴してて好き。

『日はまた昇る』の原著は疲れて途中で投げ出しました。
ですがヒロインのブレット女史の素晴らしさは痛いほどわかる。
戦後日本で洋パンとかオンリーとか呼ばれた敬うべき女性像と重なるから。

『父と子』は味わい深い、また米国らしい文学だと思う。
子が父に反発し、克服した後に残る「どうしようもない残り香」というものを、
普遍的無常観にも通ずる淡々とした会話で浮かび上がらせている。

言及されることは少ないけど、彼はまたクリスチャンでもあった。
『キリスト者は史上ただ一人であり、その人は十字架の上で死んだ』と書いた
ニーチェと同様、ヘミングウェイもまたキリスト者であることを感じさせる。

今どきのロスジェネと違い『失われた世代』の喪失感は金では補えない。
彼らが失ったのは魂の一部であって、その穴を見つめながら生涯を送った。
輝かしき青春期を失ったという一般的な解釈は好みではありません。

死後出版された『エデンの園』は全く感心しなかった。
どこかヘンリーミラーを思い出させるのですが、全体に散漫に思えた。
ミラーの魅力であるニヒリズムとペシミズムは彼とは無縁だったのかな。

十代の頃『フランシス・マコーマーの幸福な生涯』はさほど好きではなかったが、
歳くってから読むと、ああ正にこれが幸福であり救済でもあると思えてくる。
だがマコーマーの人生が現代人に勇気を与えるかといえば、それは別の話ですね。




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