執着を手放す
- カテゴリ:人生
- 2021/10/28 16:58:40
今度の裁判は、多くの教訓を与えてくれました。
大人になって、なかなか「本気で学ぶ」ということはできなくなりましたが、
振り返って、たくさんの気づきを与えてくれました。
これはね、すごいことですよ。
人間の一生のうちで、誰かを好きになったとして、
その人のことを、あれこれ1年も、考え続けることがあるでしょうか。
(あ、この度ご結婚された皇室の方と、男性はそうだったかも)
それが、好きな人であったとしても、
1年、思い描き続けるなんてこと、わたしには到底できません。
ところが、この裁判の相手というのは、
まかり間違っても好感の、コの字もない、真逆の憎しみの相手です。
それを1年、考え続けなければいけなかったということは、
どれほどの苦痛とストレスになったか、胃が痛くなるほどです。
1年も、イヤな相手のことにを悩み続けるなんて、
苦役以外の何ものでもありません。
あー、しんどかった。
でね、何に気づいたか、と、言うところが大事なところなんですが、
「怒り」は第二感情なんですってね。
氷山の海面から上に出ている部分だけが「怒り」で、
その海面下に、もっと大きな原因にあたる最初の感情が隠れていると言います。
そうなんです、
そこが、わたしの大きな欠点になる「執着」というモノらしいです。
もし、これを捨てることができたら、
マインドフルネス瞑想が、格段の進歩を遂げるような気がします。
「怒り」の感情から見える、自分の内面にフォーカスを当てるなんて、
この歳になるまで、やってきたこともありませんでした。
(いえ、それだけ継続する「怒り」を持ち合わせる機会もなかった)
今度の裁判で、得るものは大きいです。
自分の成長の度合いを、もしかしたら見ることができるかもしれない、
それとも自分が執着している「何か」の正体を見て、
心臓に杭を打ち込まれるような衝撃かも知れません。
自分のプライドでしょうか、
正義心でしょうか。
もし「正義」なんて言うものが隠れていたら、
うわあ~、鳥肌が立ちそうだわー。
執着を手放す、これがこの裁判の最大の成果です。
ぜひその成果を、手に入れたいと切望しています。
ああ、それがまた「執着」なのか・・・
(=゜ω゜)ボー…
なにかあったの?
島に行ってみたらアクセス拒否表示になってました… (´・ω・`)くぅん
それ!
(食品以外興味ナシのワタクシ…)
『マインドフルネス瞑想用テント』?なるものがあり、500万…
福袋なのかそれ…と思いました。
ゴータマシッダールタお釈迦様の資料も、たくさん読ませていただいております。
今、曹洞宗の案内YouTubeから、他の宗派のえらいお坊様方の動画まで、
何度も、どれもこれも見てノートに書き写したりしております。
面白いですね~。
あ、歎異抄!
これが、今一番の押しです。
仏教の修行は六道からの解脱を目的として、煩悩を捨てる修行をします(難行道)。しかし、達磨大師が面壁9年の修行をしても解脱できないくらい難しく、地球上では釈迦と龍女だけという道から、仏説無量寿経にある阿弥陀仏の四十八願から易行道が生まれるわけですが。
どんなに捨てようと思っても捨てられないのが煩悩で、その煩悩があるのが自分自身と受け入れられる境地になったら、阿弥陀仏が救ってくれるということで、自力があるうちは救われないから他力本願っていうみたいですね。
お身内での出来事は、本当に大変でしたでしょう。
ご主人さまにも、どうぞよろしくお伝えくださいませ。
それ、わたしも見たと思います。
(鈴ちゃんが、いつも録画してくれているので)
マインドフルネスもかれこれ1年近く…いやそれ以上かもしれませんが、
ずいぶん練習できるようになってきましたので、
精神的には、確かな効果を感じられることもあります。
禅で「不立文字」というのですが、
言葉にするのは、とても難しい。
ただ、ただ「只管打坐」そうしていくうちに、
「ここが、乗り越えどころだな」と言う感覚だけわかるようになります。
最近では、瞑想が一日で一番楽しみな時間になっています。
ええ、裁判は長引くこともありますねえ。
それに控訴も考えられますし、以前、高等裁判所まで行ったことがありますが、
向こうのメンツで、向こうが勝手に持って行っただけで、
結局2審とも、先方の敗訴でしたがね。
高くついたでしょうねえ。
ええ、まあ、いままで裁判では負けたことはないので、
慣れっちゃあ慣れておりますが、
あんまりこんなことに慣れたくはありませんねえ。
はなこさんほどの修羅場の経験が少ないですし
かかわっている人間の人物を見定めるのにも「身内」の
フィルターがかかって難しかったのですが、この半年はほんとに
「これはドラマか?」と思うようなすごいことがいくつも起こりまして(笑)
おかげさまで、きっぱりとバッサリやる決心がつきました。
ご明察の通り、得難いものを手に入れましたし
この先の人生、まだ面白いことがありそう♪
この次、お会いするときにでもゆっくりお話しできたらいいなー♪
録画してあるので、もう一度観てみようかなと思います。何か参考になる事があれば
良いんですけどね。
”自分の感情”を分析するのが実は一番難しい精神活動になるようです。
自己分析ですもんね。それを観察している自分の感情が諸々邪魔をしてくる。
その邪念の感情に流されてしまって、大概は上手く分析できずに終わる事もあります。
はなこさんは良いレベルに辿り着いてますね~ホントそう感じます。
まぁ、売られた喧嘩はのし紙付けて地獄に堕としますが。
日本の裁判制度は気長にやらんと見も心も持たないでしょうね。
「私がまだ生きてる事が人類に対しての最大の嫌がらせ」
↑
普通の人はこのような心境にはなれんと思いますよ(^^;
そうですねー、
かめさんは、ほんと大変でしたねー。
そうですか、もう3年になりますか。
月日の経つのは早いものです。
「大変さっぱりした気持ちでいますし、相手方にも感謝するべきところがあるなと(笑)」
↑ ここが凄いですね。
かめさんは、多くのモノを手に入れられましたね。
わたしも、そうありたいものです。
ありがとうございます。
自分でコントロールできる数少ないものの1つ。
3年ほど実家のごたごたに巻き込まれまして、決着ついた今は
大変さっぱりした気持ちでいますし、相手方にも感謝するべきところがあるなと(笑)
まあ私が恨まれる覚悟で他のモノをバッサリ切り捨てる所業をしましたからね。
サマーウォーズのばーちゃんには及びませんが、超自己中にとって最善の策
だったと納得してます。まーそこに至るまでは思い悩みましたが。
はなこさんなら、自らの感情とむきあってひるまないでいられるんじゃないかな。
ふぁいとー♪
それは、かなり心臓に悪そうです。
考えるだけで、血圧が上がって耳鳴りが聞こえそうです。
辛いですね。
幸い、恨みに押しつぶされそうにはならないのですが、
最近、訴訟相手が「哀れなヤツ」だなあと感じるようになりました。
そう思うと、怒りの感情がどんどん小さくなります。
「可哀そうな人間」で、ヤツは自分が不幸だということさえ気が付いていないでしょう。
そう思うと、腹が立つことはなくなりました。