ジュンチャンと世界を巡る 第72回はブラジル
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2021/10/15 05:58:12
ブラジルは南アメリカに位置する連邦共和制国家で、首都はブラジリアです。
ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナと国境を接していて、南米諸国で接していないのはチリとエクアドルだけです。
また、南アメリカ大陸最大の面積を擁する国家(国土面積は日本の22.5倍でアメリカ合衆国よりは約110万km2小さいが、ロシアを除いたヨーロッパ全土より大きく、インド・パキスタン・バングラデシュの三国を合わせた面積の約2倍に相当する。)で、面積は世界第5位です。
南北アメリカ大陸で唯一のポルトガル語圏の国であり、同時に世界最大のポルトガル語使用人口を擁する国でもあり、公用語はポルトガル語ではあるがスペイン語も比較的通じます。
経済規模はラテンアメリカ最大で、同時に世界で7番目の経済規模です。
なお、ブラジルという地名は、その地に赤色染料の原料となるブレーズ・ウッド(スオウの木、ブラジルボク)が群生していたところから名付けられたといいます。
ブラジルの先史ですが、最初の住民は紀元前11000年にベーリング海峡を渡ってアジアからやって来た人々(狩人)でした。
彼らは紀元前8000年ごろ、現在のブラジルの領域に到達したのです。
現在のブラジルとなっている地に遠く離れたタワンティンスーユ(インカ帝国)の権威は及ばず、この地には、のちにヨーロッパ人によって「インディオ」(インディアン)と名づけられる、原始的な農耕を営むトゥピ族(英語版)・グアラニー族・アラワク族系の人々が暮らしていました。
1500年にポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルを「発見」すると、以降ブラジルはポルトガルの植民地としてほかの南北アメリカ大陸とは異なった歴史を歩むことになったのです。
1822年のポルトガルからのブラジルの独立は、スペイン植民地であったラテンアメリカの独立とは異なり、本国の移転という形で始まって無血で行われ、独裁政治などの時代を経て民主化も進み、現在は豊かな資源を背景とした経済的新興国として注目されています。
ここから、アマゾン川の流域の都市を三都市紹介して、ブラジル観光に変えます。
まず、アマゾン川河口の町「ペレン」です。
ペレンはマンゴ並木が街を彩り、実が熟す雨期には街中がマンゴの香りで溢れるという街です。
ベレンの歴史は、大航海時代の1616年、ポルトガルがこの地に要塞を築いたことに始まりますが、それ以前から先住インディオたちはこの地で独自の文化を築いてきたのです。
ベレンは、移民文化が先住民文化を飲み込むというブラジルの典型パターンにはまらない、西洋文化と先住インディオ文化とが矛盾せずに混在する街として有名です。
この地はアマゾンの食文化の中心地としての顔も持っており、ここではインディオ起源の郷土料理を二つほど紹介します。
ベレンは午後になると街にタカカの屋台が出ますが、これが不思議な食べ物で、有毒マニオクの汁を煮詰めて唐辛子を漬け込んだトゥクピを入れて煮込んだマンジョーカのくず湯のスープに、干し蝦とジャンブーという葉っぱが入っているというもの。
この葉っぱを食べると、舌はもちろん口の中全てがジーンとしびれ、一度食べると病みつきになるといいます。
ベレンにはもう一つ、マニコバという郷土料理があります。
マニオクの新芽を3日間、葉っぱなら1週間、どろどろになるまで煮込んで、牛の髄や舌、豚の頭や腸詰め、ニンニク、タマネギ、香辛料を入れてぐつぐつと煮込んだものです。
緑色のカレーといったところで、これをカレーのようにご飯にかけて食べると、こってりして美味く、一皿でアマゾン河を泳いで渡れそうなほど精がつくとか。
次に「サンタレン」です。
サンタレンはベレンとマナウスの中間に位置する人口25万人の都市で、アマゾン流域では第三位の大きさを誇っています。
アマゾン河の支流の一つであるタパジョス河に面しており、アマゾン河中流域の日系人の多い都市として有名で、作家の故開高健が『オーパ!』執筆の基地とした街でもあります。
歴史的には1661年にタプイス族が住んだのがサンタレンの始まりだとされていて、その後ペドロ・テイシェイラによって発見され、アマゾン河とタパジョス河の合流点にイエズス会の宣教場が作られました。
1758年には宣教場を中心に街は広がり、ポルトガルにある同名の街からとって「サンタレン」と名づけられました。
街は河に沿って連なる堤防の内側にあり、タパジョス河がアマゾン河に合流するあたりは、遠く水平線が見渡せるほど河幅が広く、一瞬ここが海岸であるかのような錯覚を覚えるほど。
サンタレンはアマゾン流域では恋の街として有名で、SF作家の田中光二はその著書「アマゾン漂流」の中で、この町を「恋の街」と表現していましたが、ここでは男女の「情事」が三度の食事と同じくらい日常的で、男女ともゲーム感覚でそれを楽しむということです。
たとえばこんな風景です。
日系人経営の河辺のバーのテラスで河風に吹かれつつ冷たいビールを飲んでいると、はす向かいでスナックを食べていた娘たちが熱いまなざしでこちらを見ている。女主人の日系人のおばさんが「セニョールにキスしたいんだろう?」と彼女達をからかった。
最後に「マナウス」です。
マナウスはアマゾン河口より1500キロ上流にあるアマゾナス州の州都で、このあたりでもアマゾンの河幅は10kmもあります。
地形的には、アマゾン本流のソリモンエス川と、最大の支流であるネグロ川の合流部北側に立地し、170万以上の人口を抱える巨大都市です。
1900年前後をピークとする未曾有の生ゴム景気の時代、一攫千金をねらう人々の欲望が渦巻くマナウスは魔都と呼ばれていました。
19世紀の後半、一人のイギリス人がジャングルの中にゴムの木を発見した(金鉱の発見に近い感覚)のですが、それが発端でマナウスには常軌を逸したほとんどパニックに近いゴムブームが起こったのです。
1890年代半ばから1910年くらいまでの間、この町にはけた外れのゴム成金が輩出し、あり余るかねの使い道も成金趣味と言われるもので、彼らは生活上の嗜好品や贅沢品はすべて、ヨーロッパから輸入しました。
ゴム長者の奥さん方は、そのシルクのドレスや下着のクリーニングをパリでやらせたというはなしが残っている程です。
その象徴がオペラハウス「アマゾナス劇場」で、彼らは金にまかせてマナウスを熱帯のパリにしようと試み、すべての資材をヨーロッパから輸入して、アマゾンのジャングルの真っ只中の町に、ヨーロッパの贅沢を建設して快楽に浸ったのです。
次回も普通に南米の国々を旅しますが、気楽に遊びに来てください。