地震慣れ ☆
- カテゴリ:タウン
- 2021/10/08 00:10:37
仮想タウンでキラキラを集めました。
2021/10/08
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ヒツジ学園 | 4 |
教会広場 | 4 |
4択 アンジェラアキ ☆
昨晩関東を中心に震度5強の地震があって
意外だったのが震度5強は311以来なのですね・・
長い間、あまり大きな地震はなかったということでしょうか・・
私は311当時両親の世話も兼ねて実家の福島と仙台、東京を
行ったり来たりする生活で、
実家に滞在している時に311に被災しました。
あの当時は、とにかく揺れが長くいつまでたっても終わらない・・
おまけに2階の部屋にいたのですが、家から見える少し離れた
池の土手にヒビ割れがぐぐぐぐ〜と広がっていくのが見えて
そのままこちらにひび割れが大きく続いて地中に飲み込まれるのでは?
とパニック映画そのままの状況に目の前の地割れをみながら
収まらない揺れで部屋中のものが崩れてくる中、まだ新しいパソコンを
守ってパソコンが倒れないように守っていました。
揺れが収まったときはよく怪我しなかったなあ、と思えるほど
いろんなものに埋まった状態になっていました^^:
そのあと記憶では1週間以上かなり強烈な揺れが頻繁にきて
最初の2日ほどは緊張しましたが、人間はよくできてるものだなあ、と
思ったのが、恐怖や心配事も頻繁につづくと感覚が鈍化して
慣れていくのですね・・
3日目頃には大きな揺れでも平気で眠れるようになったのは
我ながらびっくりでした・・
それでも、地震に津波に原発、と次々来たので
感覚もいっぱいいっぱいで、一生分のドキドキを使い切ったのかも・・
原発の爆発の時は、逃げようにも道路もあちこち陥没で寸断、肝心のガソリンも不足でない、電車も線路が流されて逃げようにも手段がないような
危機回避が不可能状態でしたっけ・・
そんな中でも四国まで車で逃げた同級生の看護師もいましたが・・
よくそこまで逃げたものです^^
彼女の場合は、放射線の怖さを知っていたのでそこまで危機感を
感じて瞬時に判断したのでしょうね・・
危機にあった場合、最終的には運だと思うのですが、
その時持っている知識も左右したりしますね・・
ただ、知識があるばかりに失敗もありうるわけで、
やはり最後は運なのかも・・
津波から避難して山の高台に逃げたのに
遡ってきた津波に上から下から挟み撃ちで亡くなった方もいらっしゃれば
私の友人のように、海が目の前の家で、連絡が取れるまで
絶望的だと思っていた彼女の家が両隣は壊滅したのに
彼女の家だけ波の重なりの中間に位置したようでそっくり
問題なくほぼ被害なく残ったのも奇跡のようでした・・
私の実家も目の前50mのところまで津波が来ましたが
あとでぐるっと回って確認してみると、ちょうど私の実家の地域が
守られるように海側に防災林のような逆ハの字の小高い丘があって
それが波を遮ってくれたようです。
実家からすぐの両隣の地域は波が実家ラインよりももっと奥深くまできて
壊滅的な被害でした。
おそらく波除によって両隣に分散されて実家地域は守られ、両脇地域は逆により深くまで流れ込んで被害が進んでしまったようです・・
普段は海のそばの林や丘の高さや形など意識していないので
こうした大災害の時、こういった山の形が波よけになることで
遥か遠く離れた地域の運命が別れたりもするのですね・・
ああいう経験でもしないと、そんな知識も身につかなかったと思います・・
あの時はご心配ありがとうございました^^
停電でしばらくログインできなかったのですけど、
当時は数日餌やりしないと死んでしまうネットのペットを飼っていたので
ログインできるようになるまでに死んでしまうのではないかと心配で、
仙台のすぐ通常営業していた友人にパスワードを教えて飼育を頼んだりしましたw
不思議なもので、日常があまりに非日常の地獄のような光景と緊張の日々だったせいで、
ネットのペットに再開した際、まったりした非日常の世界に現実から一瞬離れて
ものすごく安堵感があったのを覚えています^^
同じくニコタに戻れた時も、現状がいつ治るかわからない緊張維持状態だったので
ああいう時は現実逃避できる空間がいかに大事か痛感しましたw
逃げ場や緊張感、不安感を解消できない状態がずっと続くのは精神上良くない感じかもです・・
なので、あの時、ネットの仮想空間の必要性を最大限に感じましたね^^
海の真ん前に住んでた友人宅がそっくり残っていたのも驚きましたが
私の母方の実家が実は南相馬でTVで見る限り絶望的な区域にあったのですが
なぜかそこだけ波が避けたようで、実家もお墓も綺麗に波が避けて無事でした。
たまたま、私の家族の家族、親類、友人、親しい知人で津波の被害に
あった人は一人もおらず、お葬式もお見舞いもゼロでした。
運が強い一族なのかもですね・・というか、野性的カンが強い一族なのかも?
南相馬の実家の高齢の親戚も、その日に限ってかなり内陸のお嫁さんの実家に来訪していて
無事だったり・・
当時は断水、停電、お店がどこもやっていない、など、老人の避難生活が超大変な時期だったので
そのままそこに残って本人は不自由なくあの難儀な期間快適に暮らせたようです・・
あのときはシシルさん心配でしたが無事でよかったです。
友人の家が無事だったのすごいですね。
さすがです☆
備えあれば憂いなし・・ですね^^
忘れた頃に・・・
という感じで、311直後はかなりしっかりフリーズドライ食品など準備してたのに
今はあまりストックないかも・・
あの時は実家だったせいで、半年分ほどは大丈夫なお米もあり、
何かといろんなものを貯め込んでる家だったので全然不自由さは感じませんでしたが
トイレだけは田舎でも大変でした。
今はそれほど備えてないので気をつけねば、ですが停電長く携帯も持たなかったので
手動で電気を充電できるラジオ付きのものと小型で明るいランタンは常備してます。
311のおかげでリーズナブルな簡易トイレや固形化できる商品が出ているので
私も揃えておきたいかもです^^
田舎は湧き水があるのでなんとかなりますが都会は水が止まると厳しいでしょうね・・
3・11の時とは同じ震度と思えないくらいの被害の様子で、
四つ葉のクローバーが効いたかしら・・と思ってしまいました。
慣れた・・といっても、やはり、怖いですよね。
家族のグループラインで、「なにかあったの?」とあり、
その前を見たら、「無事」とあり、慌ててニュースを見て
地震を知りました。
震度3だけど福岡、東京で3・11、熊本地震、また東京で昨日の地震と、
何故か地震の経験豊富?な家族なので「逃げる準備だけはしてる」と、
慣れたものでした。
地震や津波、自然災害は大きな地域ではここだから大丈夫というものはないんですね。
でも、細かく見ていくと、近くの形状で、被害の大小が変わるってこと、
引っ越しなどを考える時、重要な要素になりますね。
ないんですね。
人間って恐怖や驚きにも慣れてしまうのですよね^^
冷静な方が生存の可能性が上がるので驚くより慣れの方がいいのかも??
実家周りで液化現象はあまりなかったのですけど
宮城県のお隣の町では広範囲あちこちちょっとした池状態になって車が通れず避難がより困難になっ
て避難路を探して逃げ惑う人もいたようです・・
液化状態もかなりやばい現象かもですね・・
その後のテレビニュースのトラウマ級の恐ろしい映像に愕然としたっけ。
なのに、昨晩は布団から一回も起き上がらず、寝たまま様子見をしていました(;゚∇゚)慣れてしまっていたのか~。反省