10/2 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2021/10/02 02:03:38
仮想タウンでキラキラを集めました。
2021/10/02
集めた場所 | 個数 |
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展望広場 | 6 |
ショップ広場 | 4 |
4択 「お菓子」
キラキラ 「展望広場」 屋敷の塀の木立
「ショップ広場」 ニコっと家具店
4択 金欠の時でも我慢できないことは? → お菓子
数十円で幸せを運んできてくれるお菓子よ~~~。
もしお菓子が数千円するものだったら金欠の時は我慢しただろうなぁ。したというかせざるを得なかったな!
砂糖というものが貴重だった時代は長く、日本で砂糖を作れるようになったのは江戸時代だ。
それまで輸入に頼っていた砂糖を国産化しようと試み、薩摩藩が1623年に部下を明に派遣、サトウキビの栽培方法と黒糖の精製方法を学ばせ、それを琉球に持ち込み(当時、琉球王国ではあったが薩摩藩下であった)生産を奨励、琉球の特産品となる。
鎖国によって交易相手は限られており、また、安定した世の中で砂糖の消費が増加、大量に金銀を支払うことから徳川吉宗は各藩に砂糖作りをすすめた。
特に高松藩はサトウキビ栽培に励み国産砂糖の6割を占めたという。
1802年、高松藩は和三盆の開発に成功する。
和三盆とは「盆の上で砂糖を三度『研ぐ(とぐ)』」という意味で名付けられたという。
しかし、江戸時代、高松藩で作られた和三盆は全て藩に納められていた為に地元の人は存在すら知らなかった。
時を同じくして阿波の徳島藩でも和三盆の生産に成功する。1798年という。
高松藩とどっちが早いの?関係は?情報漏れた?とか色々あるのだがどちらもサトウキビを作るところからはじめていて、情報が行き来したようには見えない。
高松の讃岐和三盆と、徳島の阿波和三盆は製法が異なるし、砂糖成分の分量も異なる。
偶然・・・・なのか・・・?それとも何かヒントがあったのか??は、当時の人しかわからないだろう。
民衆に知られなかった讃岐和三盆と違い、阿波和三盆は貴重な特産品として高値で売買され、その砂糖を使った菓子の発展に大きく寄与した。
砂糖はそれとして日本で最古のお菓子ってなんだろう?となる。
「清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)」というものだ。
歓喜団なんて、北朝鮮かい!って思ってしまうが、「喜団」というのはお菓子の種類で「お団子」に酷似したものだと言われている。
日本最古の料理本《厨事類記(ちゆうじるいき)》に団喜の記述がありそのレシピを見ると団子・・・?と思われるらしい。
清浄歓喜団は奈良時代に仏教と共に伝わったこのお菓子。
見た目は・・・「縄文土器」と言われているのがよくわかるような・・独特なものだ。
上のひだひだが綺麗に整えてられていて面白い。
実は今でも売っている。
「京菓子」として。
・・・・奈良菓子だろーーーーーーーーー!!!
・・・フーハーー。
都が移った時に菓子屋も京都に行ったからな!
そこにいついちゃっただけだ!
「清浄」というのは「身を清める」意味で使われていて、皮が包み込む餡の中には清めのお香が7種類練り込まれている。
それを小麦粉と米粉で作った皮で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す8つの結びで閉じてごま油で揚げているらしい。
伝来当初は砂糖を使わず、栗、柿、あんず等をかんぞう、あまづら等の薬草で味付けしていたとか。
小豆餡になったのは江戸時代から。
これも砂糖の恩恵だろう。
亀屋清水というお店でしか現在は作られていないらしい。
千年を伝える菓子として、清浄歓喜団と共に「餢飳(ぶと)」も作っている。
こちらは太った餃子のような見た目で、食べたら「あんドーナツじゃん。これ」となる味だった。
こちらは奈良でも作られ売られている。奈良銘菓だ。
あんドーナツのくせにばっか高くて、知り合いに奈良銘菓として差し上げた1回しか買っていない。
しかし、その差し上げた先の父上がいたく気に入ったらしく、友達は毎年買っては実家に送ることになっているとか。それは悪いことした・・。でもあんドーナツだよ、これ。
清浄歓喜団も餢飳も1個600円する。
たっかい・・・・。
それでも千年前に日本にやってきたお菓子が、製法は少し変わったといえ、現在にその面影を留めると思えば1度ぐらい話のネタに買ってみるのも面白いかも?
亀屋清水のオンラインショップはこちら。
https://kameyakiyonaga.shop-pro.jp/
まわしもんじゃないよ!!
だって京菓子っていってるしさ!!
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- もふもふ0304
- 2021/10/02 11:30
- 奈良菓子って言ってたら、確実にまわしもんになってたな。
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