微笑
- カテゴリ:友人
- 2021/08/28 12:05:15
今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飛び込もうと、ひそかに覚悟を極めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅ぎつけたみたいに、堀木を連れてあらわれました。
「お前は、喀血したんだってな」
堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無いくらいに優しく微笑みました。
その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。
そうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。
自分は自動車に乗せられました。
とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調でした)自分にすすめ、自分は意思も判断も何も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々諾々と二人の言いつけに従うのでした。
ー 『人間失格』 太宰治 ー