7/3 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2021/07/03 06:56:20
仮想タウンでキラキラを集めました。
2021/07/03
集めた場所 | 個数 |
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ニコット山 | 4 |
ヒツジ学園 | 3 |
4択 「麦茶」
キラキラ 「ニコット山」 右の小屋
「ヒツジ学園」 校舎 左側
4択 入浴後にガブ飲みしたいのは? → 麦茶
腰に手をあてて牛乳だろう!!
できればフルーツ牛乳かコーヒー牛乳で!
あれは風呂屋での嗜みであって一般家庭の風呂での嗜みではない?
そもそも誰がはじめたんだろう?
牛乳は世界各地で利用されてきた。
紀元前7000年ぐらいトルコで牛の放牧が行われていたし、新石器時代、ブリテンで乳が利用されていたことがわかっている。
ただ牛乳は腐敗しやすいので、飲み物にするのはアーモンドミルクで、牛乳(ヤギやヒツジの乳も)はバターにするかチーズにして利用されていたらしい。
とはいえ、1回で家族が飲む分には使い切れるので中東ではいち早く飲んでいたようだ。
日本では『日本書紀』に神武天皇の東征(一度負けて退いた神武天皇が奈良を手にするべく再び遠征してきたこと)において弟猾がもてなしに「牛酒(ししさけ)」を献上したという記述がある。
それが牛肉と牛乳のことではないか、と言われているらしい。
560年の欽明(きんめい)天皇の頃、百済の智聡が日本に伝えた医学書に搾乳についての記述があるらしい。
弥生時代に牛と共にあった証拠は見つかっていないが続く古墳時代には牛の埴輪が、奈良県御所(ごせ)市の遺跡からは牛臼歯が出土しておりこの頃には家畜として飼育されていたことが伺える。
奈良時代には酪・蘇・醍醐といった乳製品があったことは色々な書物から確認される。
涅槃教には
「譬えば牛従り乳を出し、乳従り酪を出し、酪従り生蘇を出し、熟蘇従り
醍醐を出す、醍醐は最上なり。若し服すること有る者は、衆病皆除こる。所有の諸の薬は、悉く其の中に入るが如し。」
と書かれているらしい。
要するに、「牛乳を煮詰めろ」である。
作った人の手記によると、牛乳2リットルをとろ火で煮詰めていくと次第に褐色になり最終的に10センチ四方、高さ2.5センチ程の「蘇」ができたという。所要時間7時間。
・・・・なな・・なな・・・。
味はミルキーやナチュラルチーズのような(2つ全然味ちがうぞ??)感じだったらしい。
歯ごたえはサクサクしていて、甘くて美味だったそうだ。
奈良では「蘇」が売られていて前は予約必須の手に入らない食べ物だったが観光客の途絶えた今は普通に土産物屋で売っている。
この小ささにこのお値段?!という感じだったが、機会があれば買ってみるか。
7時間も煮るのは嫌だ・・・。
しかし奈良時代の後期、聖武天皇(大仏作った人)をはじめ、数多の天皇から「食肉禁止」令がだされ牛乳の使用は徐々に廃れていく。
「牛乳を飲むと牛になる」と言われ、「ほう。それなら飲んでみよう」と織田信長が牛乳を飲んだと言われているレベルで一般的ではなくなっていく。
しかし陸奥などでほそぼそと利用はされていたらしい。
解禁されたのは明治に入ってから。
明治4年(1871年)に「天皇が毎日2回づつ牛乳を飲まれている」という記事が新聞にのり、国民にも広がっていく。
じゃぁ牛乳を飲む時に腰に手をあてるのはいつからなんだ??と検索していったら
「牛乳瓶の口の大きさが、飲む時に鼻にあたる位置にくるのでそのままでは飲みにくく、体をそらすことになるが腰に手を当てたら安定するから」
という理屈が書いてあった。
NHKの番組「チコちゃんに叱られる」第14回2018年7月13日放送であったらしい。
牛乳瓶の口は26mm以上と昭和33年に決まったらしい。牛乳瓶のキャップを作る会社の社長が決めたらしく全国の牛乳メーカーの賛同もあって、現在の34mmになったらしい。
理由は「口が広い方が瓶が洗いやすいから」
そりゃそうだ。
自然発生的にあの腰に手のポーズは決まったらしい。
誰が発祥というわけでもなかったーーー。
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- もふもふ0304
- 2021/07/03 14:00
- テルマエロマエを思い出すなあ。
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