津波映画「インポッシブル」 ☆
- カテゴリ:タウン
- 2021/06/26 04:16:11
仮想タウンでキラキラを集めました。
2021/06/26
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ヒツジ学園 | 10 |
ビーチ広場1 | 5 |
4択 バカリズム ☆
Gyao!で配信されている映画「インポッシブル」を視聴しました。
https://gyao.yahoo.co.jp/title/インポッシブル/5fb605a5-c009-4e0d-9e44-5d8712b73b35
あらすじは・・
実話を基にしたもので、
2004年12月。イギリス人夫婦マリアとヘンリーは、3人の息子たちとともにタイのリゾート地を訪れ、バカンスを楽しんでいた。
ところがクリスマスの翌日、スマトラ島沖で巨大地震が発生、
一家を津波の濁流が襲う。
大津波の映画なのですが、迫力とリアルな描写が311の津波の
体験を思い出させました。
当時、私の場合、幸運にも津波は家の直前で止まって家も家族も親族も友人も
誰一人悲惨な状況に巻き込まれはしませんでしたが、
大きな地震直後の次々とくる危機、津波に大きな余震がこれでもか
と続く上に交通手段も寸断され、逃げ場がない上に
停電で電話も情報も遮断状態。
さらに、絶体絶命の原発の危機、と・・
超緊張状態がほぼ1週間続いたせいなのか、その後の周りの
悲惨な状況、あちこちの知人知り合いの一家離散の辛い状況を
みたり聞いたりしたせいなのか、自覚がないまま
私も軽いPTSDだったようで、津波の動画や311を想起させる
ものを見ると涙が止まらなくなります。
今回も最初の場面で涙が止まらない軽いショック症状が出てきましたが、
映画描写のリアルさに、あの当時の状況が全くそうだったことを思い出しました。
連絡を取ろうにも家もない、ご近所に聞こうにも街ごとそっくり流されて
状況を共通の友人や知人に聞こうにもその知人すらどこに行ったかわからない。
そんな人ばかりで溢れかえっているので交番も役所も病院も長蛇の列。
私も昨日まで普通に会えた方がその後スーパーですれ違って無事を確認して挨拶は
交わしたもののその後どこに行ってしまわれたかわからない方がいます。
海辺で家を流された人々は田舎でもあることから親戚がそばに住んでることもあり
大体は親戚の家に身を寄せて立ち直るまでお世話になった方がほとんど。
実家近くに何箇所か仮設もできましたが、小さい小屋で夏は直射日光のあたる
逃げ場のない蒸し小屋、冬は外の気温そのままの快適とは言えない
暮らしだったようです。
ほとんどの場合、数年で立ち去って、家を建てたり、部屋を借りたりで
移っていきました。
当時、道路も寸断され、電話もつながらず、
行方不明の身内をどこの病院に行けばいいのかもわからず足で探すよりほかなかった、という話はよく聞きましたし、聞くのも辛かったのが
おそらくもう亡くなってると諦めて各地の遺体安置所を探そうにも
一つ一つ変わり果てた見知らぬ遺体を見て回る恐ろしさと疲労と辛さ・・
それすら数日もたつと遺体はお骨にされ、身の回りのものと
仏さんの写真で判断するしかない状況に、とどんどん身元確認が
困難になっていった、というお話。
実家の近所でも見つかった遺体が遠く離れた他県から流されたものだったり、
川を遡って山上まで流された車が遥か遠くの港から流されてきたたものだったり・・
毎回下を通る歩道橋には約半年間乗り上げた船が引っかかったままでした。
仙台港もそうでしたが実家近くの港も何箇所かに分けて数百台単位で
流されてめちゃくちゃになった車が積まれていました。
ざっと見積もっただけで合計で数千台以上はあったと思います。
移動するたびにその車の積まれた山をあちこちで見かけたのですけど、
その車の多くには遺体が発見された車もかなりあったはずです。
もちろん、まだ海の底に沈んでる車も相当あるのでしょう・・
というわけで・・
映画のリアルな描写を見て
久しぶりに311のあの混乱した状況を思い出しました。
まさか自分がPTSDになっていたとは、今まで自覚がなかったのですが、
条件反射で311を思い出して涙が出てくるのは
おそらくそうなのでしょうね・・
映画はリアルに忠実でよくできていて、子役の演技も素晴らしいのですが、
津波経験者にはオススメできないかも・・
ありがとうございます^^
落ち込んだりトラウマという感じではないので大丈夫ですよ^^
こえだ さん、映画をご覧になったことがあるのですね^^
かなり事実に近いリアルな感じですね・・
私は実際には津波の恐ろしさは目にしていないのですが・・
ベランダから見たやってくる津波も遠目なのでそんなに恐怖や現実感はありませんでした。
でも、津波で家屋が倒壊した土ぼこりがほぼ1週間舞ったままで、窓を締め切っていても
部屋中経験したことのない黒い埃が掃除してもしてもたまっていました・・
それだけの量の家屋が倒壊した、ということですね・・
そして、やっと半年後に確認する気になれなかった現実を見ておくことに決めて、
友人の車で子供の頃から見慣れた
海辺のあたりを車でざっと回ったのですが・・
その時の衝撃に涙がと止まらず、昔から流れていた川も道もどこにもなく
海がどこにあるかさえわからないほどびっしりと見渡す限りあった街も、
いくつかコンクリートの土台が残っている程度で
どこがどこだったかわかるような痕跡すらありませんでした。
もっと衝撃だったのが友人の家の近くの宮城県の荒川という地区・・
噂で聞いていましたが、津波も場所によっては暴力的だったようで、
破壊の跡がまさに爆撃でもあったような凄まじい足跡でした。
こちらは家の土台が残っているあちこちに花束が置かれて、
まるで広大な墓場状態でした。
残っている家も破壊の凄まじさをもの語るようにガラスの割れ方も凄まじく、
実家周りや他の津波に比べてものすごかったことがわかり、
そこでもショックで涙が止まらなかったです。
多分この2つの経験が知らずにPTSDの原因になったのでしょうね・・
子供の頃何度か行っていて中洲のある海の街も取り残された家が
半年近く中洲にプカプカ斜めの状態で浮いていました。
基本的にもう精神的なショックとかは感じないのですが・・
津波の映像を見るとショック症状で涙が出てくる・・
パブロフのイヌのような条件反射みたいな感じかもです^^;
全て映像からのものなので、津波が題材になったものは
ニュースなどでも、見れません。
シシルさん、やっと、記憶をたどって涙できるところにきたので、
この映画に挑戦できたのでしょうね。
辛い記憶を思い出して涙することができるまでになったのが、
良かったな・・と思います。
それにしても、その映画は、見たことがあると思います。
私の津波のイメージはその映画からのものだったと思います。
衝撃的だったので、映像が頭に残っています。
シシルさん、元気になりますように。