始めてからたぶん24日目 母の日に思う
- カテゴリ:日記
- 2021/05/09 06:55:59
脚にきてるわぁ~
母の日かぁ・・・
普通は感謝の言葉とプレゼントを贈ったりするんだよな。
プレゼントって相手の事を考えて喜んでくれそうなものを選ぶんだよね。
空気読めない人だからね、当然人など読めるはずもなく。
故に、喜んで貰えるものを贈れない。
そんな事だから贈る相手も居ないのかな。
誰かに何かを贈れるというのはきっと幸せって事なんだろう。
母限定であれば流石に付き合いが長いから、何回かは出来たという実感はある。
その何回かはの時、たぶん相手は喜んで感謝もしていると思う。
但しその対象が僕に向けられた事は一度も無いだろう。
なぜそのような事がわかるのか、実際に母の言葉を聞いているというのもあるが、
言葉だけでこれほど確信がもてるはずもなく。
当然ながらその背景を僕が知っているからであります。
これに関しても確信が、持ちたくもない確信がある。
胸から感覚として伝わってくるアレが根拠になってしまう。
今現在母の日用に何かアクションを起こそうとすると、
当然ながらプレゼントを贈る時と同様の思考をすることになる。
考える前から答えが出てしまっている。
喜んで貰える事を模索することすら許されていないのだと実感する。
たまに勉学以外の事だろうと思うけど、「頭がいい」と言われる事がある。
そう言われても、あまり喜べないのは考える前に答えがでるもので、
幸福感を得た事が無いからなんだと思う。
楽観的な予測は大抵外す。
嫌な予感は大抵当たる。
捉え方の問題ではなく、自分なりの統計から出される数値であります。
この嫌な予感というのにも考える前にわかる頭が関わっている。
ならばいっそ考えなければ、どうやるのかわからないけど、頭を悪くする。
そのほうがいいと思うことも多々あるし、
親切な方からの助言も言葉は違うが内容はそうである。
だけど、そういう事がわかる頭を捨てたくない。
誰も褒めてくれないもの、あっても幸福感を得られないものなのに、
なぜそのように思うようになったのだろう。
ああ、思い出した。
それでなければわからない事があったからだ。
自分が持っている小さな夢を実現させる為に、
知らなければいけない事にそれが必要だからだ。
だから私は止まる事にした。
縄で四肢を縛られて宙に浮きながら、何かを削られている状態に。
削りきられるのが先か、見つけるのが先か、そういう事なんだね。
ニコッとに来てから、、来る前からだけどもww決め台詞だからねw
24日目、まだ来てよかったと思ってるYO!
お久しぶりですね。
体壊さないようにね。
自分で決め行動してきたはず
決めたことがやり通せるのか
やり通せた時に
何かあるわけでも無さげ・・・
「夢や希望・目標は必要か?」
自問自答して出直します<(_ _*)>