キス
- カテゴリ:友人
- 2021/05/01 14:38:52
審問官は口をつぐんだあと、囚人が何と答えるか、しばらく待ち受ける。
相手の沈黙が彼には重苦しくてならない。
囚人がまっすぐ彼の目を見つめ、どうやら何一つ反駁する気もない様子で、終始静かに誠実に耳を傾けていたのが、彼にはわかっていた。
老審問官にしてみれば、たとえ苦い恐ろしいことでもいいから、相手に何か言ってもらいたかった。
だが、相手はふいに無言のまま老人に歩みよると、血の気のない九十歳の老人の唇にそっとキスするのだ。
これが返事のすべてなのだ。
ー 『カラマーゾフの兄弟』 フョードル・ドストエフスキー ー