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ジュンチャン


ジュンチャンと世界を巡る 第43回は「バスク国」


これから、日本人が「南蛮」と呼んでいたスペインとポルトガルに入っていきますが、ジュンチャンはこの二つの国が、ひいきと言っていいほど好きな国です。

今回はその前座として、この両国にまたがるバスク国(スペインに認められている自治州で独立国家ではない。)を取り上げます。

この国はピレネー山中にあり、大人気の「フランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通り、キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラまでいく巡礼の路」もこのバスク国を通ります。

コロナ禍の中で、旅行にもいけないので、ジュンチャンはしばらく暇つぶしに「司馬遼太郎の街道をゆく 南蛮のみち」を読んでいました。

大航海時代の16世紀半ば、来日したポルトガル人は日本に鉄砲を伝え、イエズス会のフランシスコ・ザヴィエル(スペイン人)はキリスト教を伝えました。

室町末から江戸時代にかけては、シャム、ルソン、ジャワほか南洋諸島の地を南蛮といい、ポルトガル人やスペイン人など、南方を経由して来日した西洋人を南蛮人と呼び、初めてヨーロッパ人と接しました。

フランス・スペイン・ポルトガル3国にわたる司馬遼太郎の旅は、「南蛮」とはなにかということをこの旅で感じたいという<ご単純な動機で始まったようですが、日本に初めて南蛮文化をもたらしたキリスト教宣教師の一人フランシスコ・ザヴィエル(地球が丸いという考え方を初めて日本人に教えた。)は、スペイン・ナバラ地方出身のバスク人であり、青年時代にパリで学んでいました。

司馬さんはまず、パリの学生街カルチェ・ラタンを訪ね、ザヴィエルの青春の痕跡を追い、それからフランスとスペインの国境沿いに広がる、ピレネー山麓のザヴィエルが生まれ育ったバスク地方へと向かいます。


それではバスク国の始まりです。

バスク国はスペイン北部とフランス南部に位置しています。

具体的には、ピレネー山脈をはさんでフランスの南西部からスペイン北部にまたがり、ビスケー湾に面した風光明媚な一帯です。

独立国家ではありませんが、国旗や独自の言語を持っています。

バスク語はヨーロッパ各地の言語と大きく違い、文法的には日本語に似ています。

バスク人は皆スペイン語またはフランス語とのバイリンガル(二言語話者)です。

この地に住むバスク人たちは、独自の文化と言語を持つ謎に包まれた民族で、インド=ヨーロッパ語系の民族がイベリア半島にやってくる前からこの地に住んでいたと考えられています。

バスク語はヨーロッパのどの言語グループにも属さない、起源が謎の世界でも最も難しい言語のひとつといわれ、「悪魔がバスクの娘を誘惑するためにバスク語を習ったけれど、7年もバスクに滞在して覚えることができたのは(はい)と(いいえ)だけだった」、なんていうジョークがあるほどです。

また、中世フランスにはなんとバスク語を勉強するという刑罰があったそうです。( ^)o(^ )

 

バスク人の外見は他のヨーロッパ人と変わりませんが、遺伝的にも大きな特徴を持ちます。

血液型でいうとO型が過半数を超えていて、残りをA型が占め、B型が極端に少ないのだそうです。

さらに、全人類のほとんどがRhプラス型なのに対して、なんとバスク人の多くがRhマイナス型です。

言語と同様に、血液型でも世界的に珍しい民族なのです。

著名なバスク人には、宣教師フランシスコ・ザビエルや、革命家チェ・ゲバラがいます。

大きな石を持ち上げたり丸太を斧で切る競技は日本のCMなどでおなじみですが、これはバスクの伝統的なスポーツのひとつです。

バスクでは力持ちが尊敬の対象なのです。

 

皆さんは、バスク国をどう旅してみたいですか。




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