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奈良東大寺お水取り

ニコットおみくじ(2021-03-12の運勢)

おみくじ

こんばんは!低気圧が西日本を通過し、九州と中国、四国は午前から、

近畿、関東、北陸は午後から雨。東北は曇り。北海道は晴れ、沖縄は雨のち曇り。

【奈良東大寺お水取り】

お水取りは東大寺の二月堂で行われます仏教法会で、
正式には修二会といいます。

法会の目的は、仏の前で罪過を懺悔する事です。

現在は3月1日から3月14日まで行われます。
その間、心身を清めた僧(連行衆)が十一面観音の前で宝号を唱え、
荒行によって懺悔し、あわせて天下安穏を祈願します。

<歴史>

お水取り(修二会)は、天平勝宝4年(752年)に東大寺の
実忠和尚が十一面悔過を創始して以来、一度も絶えることなく、
不退の行法としまして1260年以上に渡り営まれ続けてきました。
そこには東大寺が歩んできた長い歴史が刻み込まれています。

本展は毎年東大寺でお水取りが行われるこの時期に合わせまして、
開催します恒例の企画です。

実際に用いられた法具や歴史と伝統を伝える絵画や古文書、
出土品などを展示しまして、お水取り(修二会)への理解が深まる
一助となることを目指します。

問題 東大寺を建てられた方はどなたでしょうか?

1、後醍醐天皇

2、聖武天皇

3、淳仁天皇

ヒント 東大寺が建てられた創建ですが、
    東大寺が現在広がっている場所には創建される以前に
    小さなお寺があったそうです。
  
    その中には金鐘寺(こんしゅじ)もしくは(きんしゅうじ)と
    呼ばれるお寺がありました。

    その金鐘寺などは奈良時代の天平13年(741年)に
    仏教で国を守っていくための拠点となる
    和金光明寺として重要なお寺とされました。

    この大和金光明寺と呼ばれるお寺が東大寺の
    直接的な前身の寺院とされています。

    一時期は滋賀県甲賀市にありました紫香楽宮や
    奈良県木津川市にありました恭仁京と呼ばれます都に
    一時的に移転していた時期になっております。
  
    そのために、現在の東大寺の大仏様は、
    大仏様を作る計画につきましても、
    その計画が初めて天平15年(743年)に指示された時には、
    紫香楽宮周辺のお寺に大仏を作る計画になっていました。

    天平17年(745年)に平城京に都が戻ることになりまして、
    その紫香楽宮の幻の大仏は計画から外されました。

    現在の大仏様がおられます地は、

    大和の国分寺であります大和金光明寺の敷地になりました。

    大仏様が作られ始める頃にはこうして
    東大寺という呼び名が使われるようになりました。

    実際に建設のリーダーは行基様と呼ばれる
    高名なる僧侶です。
 
    述べ数十万人の人々が働きまして、
    膨大な金や銅等が使われました。
  
    そして、天平勝宝4年(752年)4月9日

    遂に完成しました。

    インドから渡来しました僧侶の菩提僊那(ぼだいせんな)様が
    「開眼供養会」で盛大にお披露目致しました。

お分かりの方は数字もしくは天皇陛下名をよろしくお願いします。

    


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2021/03/12 22:02
こんばんは!
はい、正解です。
おおお~、それは凄い回数ですね。
ももさんに解説をしていただきたいです(礼)
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2021/03/12 21:58
2番w
東大寺には10回以上行っていますよwww
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2021/03/12 20:51
こんばんは!ウォーキングで疲労がたまってますところありがとうございます。
どうもお疲れ様です。
あはは、恐れ入ります。しかしながらまだまだです。勉強不足ばかりですよ。
おお~、流石ですね。正解です。おめでとうございます(祝)
造営をした方になるとやっぱり掘り下げていかないといけないので奥が深いですね。
まだまだです。努力をしないといけません。
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2021/03/12 18:40
げんりんりん、ちィ~ッす♪
(* ̄0 ̄)/ オゥ~ッ☆彡歴
史好き&宗教哲学好きなげんりんりん、出たぁ~♪v( ̄Д ̄)v イエイ
2、聖武天皇☆彡(^_^)v
得意分野だよね、げんりんりん♪(^_-)-☆




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