Nicotto Town



「 Viaggiatore」~旅人~第7話


第7話「母の死」
「母の死」

次にベネチアへ行く予定だったが、母から体調が悪いと連絡があった。
僕達は、急いで日本に帰った。
母は、救急車で運ばれて兵庫医大に入院をしていた。
担当医に病状を聞くと末期の乳がんだった。
3ヶ月は持たないだろうと医者は言った。
入院から1ヶ月で母は亡くなった。
家族だけで葬儀をすませた。
妹の早紀は中学校3年生だったので、
僕の大学がある沖縄で高校に行くか
僕が大学を辞めて こっちに戻って地元の高校に行かせるか悩んだ。
どっちにしても早紀の気持ちを優先しようと思った。
早紀は、「海と一緒ならどっちでもいい」と言った。

あと大学生活が2年残っている。
早紀が、沖縄の高校を卒業するまで、3年ある。
早紀が、中学校卒業するまでの数ヶ月は、地元に帰って世話をしなければいけない。
そうなると、単位が取れないので今年の大学は留年になる。
大学卒業してからのことを考えた。
ふと思い出した。
泉と一緒に東大を目指したが、東大合格の点数が取れなかった時も
将来のことを考えた。
その時は、(僕は会社や組織に縛られず自由に生きたい。
旅人になりたい イタリア語で「Viaggiatore」 )
と考えていた。
この気持ちが今は、一層強くなっている。
早紀が高校を卒業するまでは、
一人旅は封印してアルバイトをしながら沖縄で大学を
卒業するのが 早紀さえよければそれがベストな選択だと僕は思った。
そのことを早紀に言うと 「私も沖縄が好きになったから海につい行く」
躊躇なく言った。
沖縄行って大学に3月までの 休学届を出して、
アルバイト先の ダイビングショップに事情を話した。
「じゃあ春に待ってるよ」
と30代前半の女性のオーナーの太田裕美は、言ってくれた。
オーナーの太田裕美は、「早く結婚しなくっちゃ」と口癖 のようにいつも言っていた。
弟がいて僕をいつも弟のようにかわいがってくれている。
日帰りで地元に実家に帰ってきてから、4月までのアルバイト先を探した。
条件が合うアルバイト先は見つからなかった。
僕は、父親が残していったギターを小さな頃から毎日弾いていた。
自分で歌を作って、ギターを弾いて歌ったりもしていた。
なかなかや必要なお金は、FXで順調に稼いでいた。
母親は、少ない給料の中から、保険に入っていてくれた。
今住んでいる家は、母の両親亡くなったの持ち家だった。
当面お金の心配はなかった。
早紀に、できるだけ寂しい思いをさせたくないので
アルバイトは、あきらめてFXと母がしてたことと、
音楽を作ってYouTubeにアップしたりして家に、いることにした。




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