黄金の門松
- カテゴリ:日記
- 2021/01/11 23:24:48
丑年門松が突如、メガに変身!
ってことを日記の返信コメや伝言板に書いた。
でも、誰もそれを信じてくれない・・・
僕はここ二、三年の正月時のマイガーデンには、
前年の門松(今年なら子年門松)と当年の門松(丑年門松)の二本立てに。
行く年くる年ってイメージにするために。
で、今年も保存しておいた子年メガ門松を右に、
メガ化した丑年門松を左に配置した。
黄金門松の種を貰い、取っておいても仕方ないので蒔いた。
たった一個の種だから当然、メガ化はしなかったけれど、
しばらくは置いておこうと丑年門松の前に据えておいた。
松の内も明ける頃、そろそろ撤去しようとしたら、
ナント、その門松がメガに変身していたのだ!(ホントなんです・・)
で、奇跡の黄金門松を子年門松があった位置に据え替えた。
『チコちゃんに叱られる』で、
「なぜ、門松は斜め切りになってるか」が問題になっていた。
へえええ~と思ったので、ついでに書いておく。
「そぎ」と呼ばれる斜め切り門松は、家康以降のことだって。
1572年、あの三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗北した家康が
次は武田を斬るゾという念を込めた所業が始まりらしい。
さらに、この門松に拘わる逸話も残ってる。
合戦後に、信玄は新年の挨拶を家康に送った。
「松枯れて竹たぐひ無き明日かな」
{松(松平=徳川)は滅び、竹(武田)は比類なく栄える}
ムカッときた家康は、文字を少し換えて返しを送った。
「松枯れで竹田首無き明日かな」
{松平は滅びずに、武田の未来は悲惨なものに}
こんな頓智の効いたやり取りを昔の武将はしていた。
百人一首も機智に富み、いろんなレトリックを駆使している。
今、こうした気の効いた術を持つ人が少ないのが寂しい。
そろそろこの門松も片付ける時分。
松の内の1月7日に撤去するのが一般的でも、
僕は1月15日の小正月までは置いておくつもり。
そうだよ、こんなの嘘ついてもショーガナイのに
錯覚だろうとか言う人がいるんだよぉ・・・
奇跡の黄金門松を、おろそかにしちゃいけない。
「どんと祭り」って、こっちで言うドンドン焼きだよね。
左義長って呼ぶ所もあるけど、多くは1月15日にやってるはず。
なんかご利益がありそうで、拝んでおいた。
リアでも、どんと祭まで飾りはそのままの宮城。
しまうのが勿体ない、門松だね^^
「たぶん」って言葉は・・・
起きたのです、確実に!
ミラクルはおきるんですよ、たぶん☆