1/9 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2021/01/09 02:41:20
仮想タウンでキラキラを集めました。
2021/01/09
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ゲーム広場 | 10 |
ニコット山 | 4 |
4択 「給料」
キラキラ 「ゲーム広場」 元 中央 ゲーム場 入り口
「ニコット山」 左側 道の奥 街灯
4択 転職時に重視することは? → 給料
何度目の4択かわからないが、3Pアザーーーッス。
何年か前の正倉院展で当時の役人が役人同士の掲示板に掲げていたであろう木簡が展示してあった。
そこには「経3巻を納めるよう下命があったが、仕事が忙しくてできない。ご自身の分が終わった人で代わりに写経してくれる人求む。お礼は5文。※ただし字の上手い人に限る」とあった。
当時の役人の給料っていくらぐらい?5文ってどれだけの価値なの?と頭に疑問がよぎりながら帰ってきた。
せっかくだから調べてみよう!
奈良文化財研究所の(44)役人の勤務時間から見ていく。
多くの役人は役所の近くには住んでいない。高いからね!
平城京の郊外に住んでいて、通勤には1時間程かかるのが普通(1時間歩くんだよ!)。
仕事は夏至で6時半頃、冬至で7時50分ぐらいから始まる。そこからおおよそ4時間。朝堂院というところでお昼まで仕事をすることになる。
1日の仕事が4時間であった、と記されているのはこの部分の仕事を指している。
が。役人はそれから自分の所属している役所(曹司)に移動して仕事をすることになる。
勿論仕事がない場合は昼までで帰宅が許される。でも基本残業だ。
下級役人の出勤日数を記した木簡はいくつも出土しており、そこから「日:朝から昼まで」「夕:昼から夕方まで」「夜:夜勤」で記録されている。夜勤は見回りなどの衛士ぐらいだが、普通の下級役人は 日勤務の半分以上の夕勤務もこなしていた。
そして当時の日本にお昼ごはんの概念はない・・・。
は・・・腹減るわーーー!!!
いつご飯食べてたの?!
ま・・まぁいい。給料だ。お給料はいくらぐらいだ。
奈良時代、役人は18の階級に分かれていて、それぞれ支給される品(布地、糸、綿、鉄)や使用人(税金で納められた労働より)と土地などは法律に記されている。
私は先程から「下級役人」と書いてきたが、土地や人を貰える上級役人は貴族オンリーなので普通の役人じゃないのだった。
お給料をお金でもらえないのだが、貰える物品を当時の金の単位”文”になおしてみると、最下級で300文。貴族じゃない下級役人のTOPではその3倍ぐらいになっていた。
じゃぁ貴族はどのぐらい?というと最上級で5万2千文。
これは右大臣や左大臣レベルで国に2人しかいない大役だからな。貴族役人の最下層の給料は1200文ぐらいだ。
じゃぁ1文の価値ってどのぐらい?というと市場でお米が2キロ買えるらしい。
下級役人で年間600キロのお米を買えるということだ。
(現在、日本の基本米の消費量(年間)は59キロ。
記録がつけられている中で最高は昭和37年の118キロ。)
私が正倉院で見た「5文で私の代わりに写経してよ」の募集はお米10キロに相当だ。
割と多い。
あの募集に対してどれほどの応募があったのかは知らないが、字がうまいっていう技術があるとそういうバイトもできたってことだ。
芸は身を助くってことは今も昔も変わりないってことだね!
そして掲示板にバイトの募集をしていたとか、今と変わらないねえ
さすがに駅の掲示板は消えたが、大学やショッピングモールにはバイト募集の掲示板があるものね
これだけ働いてきた日本人だからこその今があるわけで、ほんとに勤勉なご先祖様に感謝だよ
昔、字の上手な先輩がいたなあ。
賞状を書くバイトをしたことがあったとかないとかいう。
時代劇に出てくるような、長い紙に筆で書いたお手紙貰った時にはびっくりした。
流麗な字であった。
探し出して眺めてみようかな。