12/30 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2020/12/30 14:45:23
仮想タウンでキラキラを集めました。
2020/12/30
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ゲーム広場 | 3 |
ニコット山 | 3 |
4択 「ゆず」
キラキラ 「ゲーム広場」 旧 左 ゲーム場入り口
「ニコット山」 右の小屋
4択 神奈川出身の有名人といえば? → ゆず
柑橘類って見た目があんなに似ているのに香りも味も違うとは不思議だ。
中には皮が美味しい金柑なんて種類まである。
みかんは日本の本土に橘、沖縄にシークワーサーが自生していた。
3世紀の魏志倭人伝に「生姜、橘、山椒、茗荷があるのにそれらを食べていない」という記述がある。
日本の文献に柑橘類が初めて登場するのは『古事記』『日本書紀』で「垂仁天皇の命を受け常世の国に遣わされた田道間守が非番香菓(ときじくのかくのみ)の実と枝を持ち帰った。非番香菓とは今の橘である」との記述がある。
ミカンとして最初に日本に広まったのはキシュウミカンである。中国との交易港として古くから栄えていた肥後国八代(熊本県八代市)に中国浙江省から小みかんが伝わり、高田(こうだ)みかんとして栽培された。それが15-16世紀頃紀州有田(和歌山県有田郡)に移植され一大産業に発展したことから「紀州」の名前がつけられた。
ウンシュウミカンは当初「長島蜜柑」「唐蜜柑」と呼ばれ種子を生じない性質から武士の世にあっては縁起が悪いといわれ殆ど栽培されることがなかった。しかし江戸時代後期よりその美味しさと種無しの利便性から栽培が行われるようになり、明治27年(1894年)頃から生産を増やして徐々に紀州蜜柑にとって代わるようになった。
温州みかんのほうが紀州みかんよりやや大きい。
温州みかんは中国の温州にちなんで名付けられたが、日本の不知火海沿岸が原産と推定されている。
それがなんで中国の地名を?と思うのだがよくわからない。
江戸時代は「李夫人」(りうりん、りふじん)と呼ばれることが一般的であったらしく傾国の美貌で名高い李夫人にちなんだという説があるが・・・やはりよくわからない。
江戸時代の「知識人」と呼ばれる人たちは主に儒学者であったのでその人の一人が名付けたという説もある。
明治になって温州みかんの実や株が海外にバンバン輸出された。英語では”satuma mandrin”と呼ばれる。欧米では””satuma””mikan”の名称が一般的である。”satuma”という名称は1876年(明治9年)に本種が鹿児島県薩摩地方からアメリカ合衆国フロリダに導入されたためである。
尚、その後愛知県尾張地方の種苗産地からアメリカに渡りそちらは”owari satuma”という名称で呼ばれるようにもなった。
そこからタンジェリン、マンダリン・オレンジが派生している。
手で軽くむくことができる手軽さと、その美味しさで愛されてきた蜜柑。
長く日本で最も消費量の多い果物であったが近年、バナナにその座を譲り渡した。とはいっても、みかんは産地では”おすそわけ”でもらう果物であって、購入しかないバナナと違って正確な消費量を算出することは難しい。
バナナ、リンゴに次ぐ売れ筋果物であり、太平洋側など日当たりの良い斜面が栽培適地である。
昨今はハウス栽培で1年中お目にかかれる果物であるが、やはり冬場のおこたにみかんが王道であろう!
京都にいた時知り合いがストーブの上にのせて焼き蜜柑を作って食べていた。甘酸っぱい香りが部屋中に漂っていたが美味しそうとは思えず・・・食べなかった。
地方によって食べ方が違うのかな?
給食にでた冷凍みかんは美味しかったぞ!
低温で保存して甘みを増した蜜柑を水につける→冷凍→水につける→冷凍で氷の膜を作り、中の蜜柑がジューシーなままにできるという。
でも今は寒いので普通の蜜柑で!!
おこたにあたって水分の抜けた体に優しく美味しいぞーー!
そんなゆったり過ごせる冬まであと2日!!
皆、がんばろうねぇ・・・・・・
手で向けるみかんが、アメリカに行ったら手で向けないオレンジになったのはなんでや?
みかんが好きで毎日食べてるが、小粒の温州みかんがすきだー
いよかんも好きだーーー
みかんいよかんいいよかん♫
一度、家で作ってみたのだけど、すぐに食べたいのにカチコチで(;´・ω・) 自然解凍で置いてたら溶けすぎて(;´・ω・)。。。それ以来、冷凍ミカンは思い出の中の味なのさ~
みかんといえば、今日のお年玉でみかんかごをもらった!こたつ部屋を作りなおさないとな!
台所が、すこーし明るくなった。
居間の片隅が、すこーし片付いた。
やらないよりはまし、と言うほどの前進。
全面勝訴?への道は遠い。
それはそうと、給食の冷凍ミカン、美味しかったよねー!