Nicotto Town



「青春は、何度でも・・・」


「青春は、何度でも・・・」 

「レミー」

僕たちの出会いは 高校の入学式だった。 
静岡県立掛川東高等学校通称は「東高」 に入学した。
掛川市は、静岡県西部(遠州)の市で、 
全国最大規模の緑茶の栽培地であり、緑茶を用いた土産物も多い。 
彼女の名前は、海原麗美、 友達からは、レミーと呼ばれていた。
レミー のおばあちゃんは、茶畑農家だった。 
忙しい両親の代わりに おばあちゃんに育てられた。 
小さな時から歌とダンス 大好きな女の子だった。 

中学生の時にドラムを 誕生日に買ってもらってから 
勉強するよりもドラムを叩いている時間が、長かった。 

僕の名前は、原田海。 友達からは、シーちゃんと呼ばれていた。
中学生までは関西に住んでいた。 
父の仕事の関係でこの静岡に 引っ越してきた。 

僕たちは同じクラスにだった。 
彼女は、一度喋り出すと止まらなくなってしまう。 
僕は、喋るのが苦手だったのでできるだけ彼女を避けていた。 
彼女はクラスでも優しくて面倒見がよくて人気者だった。 
僕は引っ越してきたので友達が、一人もいなかった。 
初めて友達になったのが乱蔵だった。 
彼は応援団に入っていた。 
手先が器用で何でも作ることができる。 
工作上手な応援団、なんか変なやつだった。 
休み時間はほとんど乱蔵と 一緒にいた 。 
困ったことに中学がレミー と一緒で 仲良かったので 
僕たちの あいだに入ってきて レミー が一人で喋っていた。 
部活が終わると僕たち3人は 、よくうちの学校の溜まり場になっているケンタッキーにいった。 
レミー は、よく喋りよく食べる。 
僕は見てるだけでお腹が張ってしまう。 
会話の相手は乱蔵に任して 他の野球部の友達と喋っていた。 
うちの学校の溜まり場になっている。 

レミーの事は苦手だったけど決して嫌いではなかった。 
逆に好きだったかもしれない。 
好きだったから話しづらかったのかもしれない。 

レミーと乱蔵はとにかく仲良くが良かった。 
何度も僕は、二人は付き合ってないのと 聞いた。 
二人は口を揃えて「無理」と言って 笑っていた。 
僕から見たらとってもお似合いなんだけど 
仲良しすぎて駄目だったみたい。 
部活の友達達とはちょっと微妙な関係で 仲間だけどライバルだった。
それに比べると乱蔵は、好きなことを 話できる親友だった。 

レミーはブラスバンド部で全国大会で優勝するために、東高に入学した。  
レミー が1年生の時 部員は80名いた。 

ブラスバンド部は、 吹奏楽コンクールと マーチングバンド・ バトントワリング部門 
両方の大会を目指していた。 
両方を掛け持ちする生徒 片方だけの生徒がいた。 
レミー は、打楽器担当をして両方を掛け持ちしていた。 
マーチングバンドの指揮者は、鼓隊の伝統から「鼓手長」を意味する 
「ドラムメジャー」と呼ばれている。 
ドラムメジャーは、3年生の滝汗麗子がやっていた。 
厳しい中に優しさがあって後輩達の憧れの的だった。 
各パートごとにパートリーダーのもとで分かれての練習をしている。 
レミー が1年生 だったが ドラムメジャーの滝汗麗子 から 
打楽器のパートリーダーに 抜擢された。 

レミー は、頭が良くよく喋りよく食べる活発な女の子だった。 
みんなをまとめるのが上手で パートリーダーにぴったりな存在だった。 
花形といえばトランペットだけど、打楽器はマーチングバンドでも 重要な役割を担っていた。 
大会前の練習は、夜の9時 ぐらいまでやることもあった。 
受験を目指す特進科の生徒の親は 遅くまで練習することをとても嫌がっていた。 
でもみんな全国大会に向けて必死で練習をしていた。

                           つづく





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