誰もがパンダを好きだとは限らないだろう。
- カテゴリ:日記
- 2020/11/18 23:11:05
フェイスブックのCEO?とツィスター社のCEOが「言論封鎖」をやったと追求されている。
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Facebook、Twitter、グーグルのCEO、公聴会で議員から厳しい追及
Facebook、Twitter、Googleの各最高経営責任者(CEO)は米国時間10月28日、共和党と民主党の両議員からの激しい追及を受けた。米上院議員らは、これらのハイテク大手企業の繁栄を支えた主要なインターネット法をめぐり、CEOらを厳しく問い詰めた。
https://japan.cnet.com/article/35161627/
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所謂一方的な意見の味方をしたと言う感じで言論統制、言論封鎖。
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小倉智昭、古市氏に「何を言うんだ!」 赤ちゃんパンダ「かわいくない」にプッツン
キャスターの小倉智昭が12日、フジテレビ系「とくダネ!」で、つかまり立ちを始めた上野動物園の赤ちゃんパンダ・シャンシャンについて「まだかわいくない」と言い放った評論家の古市憲寿氏に「何を言うんだ!」と声を荒らげる場面があった。
略
小倉の怒り?は収まらず、番組エンディングでも「この3ショットは危険だね、だってパンダが可愛くないって言われたら…」と小倉を中央に、梅津弥英子アナ、古市氏の3ショットを指し、古市氏をチクリ。古市氏は「ちょっとばっちい感じだったじゃないですか」と、パンダが檻の中にいた映像も影響したようだが、小倉は「苦情は本人宛で」と言い、古市氏も苦笑いを浮かべていた。
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/10/12/0010635916.shtml
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誰もがパンダを好きだとは限らない。
パンダよりゴリラが好きな人もいるだろう。
猫派もいれば犬派もいる事は解るだろう。
私はふれあい動物園が嫌いである。だが頭で子供の情操教育上「ふれあい動物園」なるものに連れて行った方が良い事は解っているので理性で子供を其処へつれて行く。
しまったと思った。今日はジブシー風のコーデ。交差したスカートの一番長い部分がくるぶし近くまである。
解っていたのだ。ヤギも羊も糞をする。
ふれあい動物園の入って良い折の中は糞だらけである。
慌てて何段にもなっているスカートを捲し上げて片手に持った。
片手は子供たちの荷物。
両手がふさがっている私の所へ何を勘違いしたのかヤギが草木染のスカートを食おうとする。
飼育員のお兄さんがやってきてヤギを追っ払ってくれた。
「動物が嫌いですか?」「いえ、この服を着て来たことを後悔しているだけです!」と毅然と言い放つが
ヤギがまた何かと勘違いして私のたくし上げて手に持っているスカートに寄って来る。
飼育員のお兄さんがヤギを追っ払って私を柵の外に出してくれた。
子供たちが柵の中から「動物怖いの?」と言っている。
色々あるんだけどね。複雑で説明するのが面倒だし、此のスカートの値段を考えるとヤギに食われてギザギザにして欲しくなかったのね。
一方的で単純に考えると「言論統制。言論風圧」をしたと言えばそう見えるだろう。
私は「マスクをしない自由」に反対である。それは理論的に言うと「飛沫感染」の富岳の映像を含めて科学的にマスクの効能はある程度ある事が証明されているからである。
つまり「感染予防」と「感染者」になる両方からの効果が「科学的に証明されている」
理論的に予防効果があるのなら其れをコロナを広げない為に法律で強制しても「感染予防」を国が取らなければならない措置としてあると思うので私はすべきだと思う。
其れを「マスクをしない権利」と言う「権利」を主張するのなら、裸で歩く権利もあるし道でうん◎をする権利もある。
私はこういう「低レベルの主張にうんざり」である。少し考えれば解るだろう。
つまり其れ程複雑で説明が難しく人によっては納得が難しい個人の事情もあるのかもしれないが「マスクをしない権利」は「マスクが出来ない事情」が説明が難しいがあるのでなければ「マスクをしない権利」は「権利」ではなく「公共性から言って否定されるべき」だと科学的理論から思う。
例えば以前にも書いた自治労の「マニュアルに無いからしないと言う権利」は同じように状況によっては「非常に常識から外れた公共性から言っても否定されるべき時」がある。
中学の時にゴミの焼却炉があって其の横に掃除当番の人が教室にあるゴミ箱をもって其処に捨てに行く。
其れを二階のまどから其処へ目指してゴミを投げ捨てる「やから」が言う。
注意をすると「生徒手帳に二階からごみをすてるな」と書いてないから良いんだと言う。
丁度生徒手帳なるものが与えられて其処に規則が書いてある。
其れに書いてないから良いんだと言う常識から逸脱しても平然と口にできる其の低知能低レベルに中国製になって何をやっているのかと思ってみていたが。
自治労の自分の仕事のマニュアルに載ってない仕事はしないと平然と言う其の低知能、低レベルにあきれたように「マスクしない権利」には思う。
例えば市役所でトイレの場所を聞いても職員は自分の仕事のマニュアルに書いてないからマジで場所を教えないと言う事をやって私を驚かせた。
其れは糞左翼市長が札幌市に誕生すると同時に其の様な事が起きて市民は顔を見合わせて驚いた。
兎に角どれがどこにあるかを聞いて回る私を恐れて市の職員が私が寄って行くとおびえた魚の様にすっと遠ざかって行く。
市民たちは顔を見合わせて其の変化に戸惑っていた。
次第にこれが自治労の実態だと解ったけど。
マニュアル以外の事をすると恐ろしい「自己批判」と言う「長時間追求」と言う「リンチ」が待っているのだろうか?
コロナ等保健所の一部の感染予防の中にしか当てはまらないのかもしれない。
僅かな人数で人手不足と居直るかもしれないが他の職員が「コロナ禍」で少しでも「コロナを収めるための手段」として「マスクをしない権利」ではなく、公共性の立場と特殊な事象を科学的に理論的に考えると「マニュアル」よりも重視すべき事があると理解できる知能は彼らには無いようである。
其れならロボットに彼らと一刻も早く変えるほうが公共性の為にずっと良い事である事は国民が納得するであろう。
そして自治労で無いまともな知能を持った人間が臨機応変に対応すべき場所にいるべきである。
私は無愛想で慇懃無礼で其れでもマニュアルにあるものを駆使して何とか老婆に解りやすく説明をしようとしている態度がみられると「ありがとう、とてもよく解ったわ。」と礼を言う。
民間では当然の対応以下ではあるけど。彼らは其れでもマニュアルの中で必死に何を言っているのか解らないぽかんとした老婆に奮闘しているのが見える。
民間だと其の3倍位詳しく説明してくれてボールペンも貸してくれて名前を書くだけにしてくれる。
細かな数字も住所も郵便番号を書くとパソコンで何かをして途中まで書いてくれる。
殆どが民間で生活をしている人達からすればいまだに「マニュアル」と言っているのは「其のマニュアルには不備が多すぎて其の何十倍もの事例を書き足さなければならないと言う事」を現実が証明している。
少なくとも直ぐに「コロナを想定して更にそれ以外の感染症も此のグローバル化の世界」の中に通用するように書き直さなければならないだろう。