おじさん、ありがとう。
- カテゴリ:日記
- 2020/10/31 13:07:54
先日、実家へ電話したら
実家の前の工場のおじさんが、亡くなったと聞きました。
「え?おじさん若くなかったっけ?」
「すい臓がん患ってて、ねぇ。でも10年以上頑張っていたんだよ。
それから、おじさん私より(母)一つ下なだけだよ。」
「えーーー?? あ、そっか私も歳食ったからなぁ」
記憶のおじさんは若いまま、30年以上前だ・・・
実家の前は工場で
今は建て替えて、綺麗な工場になってますが
昔は、とたん屋根の真っ黒、真っ暗。
古着から、フェルトを作る工場で
工場の大きな音のする方へは、立ち入り禁止で行かなかったけど
倉庫はおんぼろでしたので、壁の穴から入りこんで
フェルトの原料が袋ずめになった、山は
子供にとっては、アスレチックでよじ登ったり、隠れたりで
とても楽しく、良く潜り込んでは、おじさんに見つかって
叱られました。「あぶねーぞ!!」と
フェルトの山のてっぺんまで
登ると屋根裏の梁まで、手が届き
そこまにまたがると、天井の隙間からこぼれる光に
フェルトのホコリが舞って、キラキラして綺麗なのです。
光の差し具合がとても良くわかる。
多分おじさんは、私が嫁に行く事一番驚いただろうな・・・
膝小僧は傷だらけ、体はホコリまみれ
トラックのホロの上には、平気で上がり
手も洗わずにお菓子にかぶりついて。
今、そんなばばっちぃ子はいない
でも、楽しかった。
おじさん、ありがとう。とっても楽しかった。
比べるものではないと思うけど
自分の小さい頃の思い出って、やっぱり特別。
今の子達も何か『特別』と言う宝物ができてるといいな・・・
危ない事を覗けば、打ってつけの遊び場。
良い時代でした。
うん、地元に戻ると風景が変わってます。
自分も歳取ってるんですが、ついつい忘れる。
思い返して「30年」、長いですよね。
すい臓がんで10年なので、口の悪い人は「本当にすい臓がんだったのかん?」
と話してたそうです。
私も大きくなってからは、工場へは遊びには行かなかったし
挨拶程度、御嫁に行ってからはさっぱり
だったので、驚きでした。
時間は流れるのですよね。
いい思い出(^^)
伯父さんって、いい立場ですよね。親とは違って
昭和40年代ですか、私も見てみたいなぁ・・・すっごくいい映像なんだろうな
って想像できます。
おじさんとの一番?の思いでは
工場がボヤで大騒ぎになった時、夜だったんですが
風呂上りで慌てて外に出て、おじさんと目があって、私Tシャツにパンツ一丁だった・・・・と言う・・・・・
慌てて、逃げ帰りました・・・・
12歳ぐらいの話で・・・・
母から「おじさん、大笑いしてたよ、もう!」と叱られた。
恥ずかしすぎて、今でもよく覚えてます・・・
昔知っていた人はその時の儘で時を止めているものですが。
30年か。人がおじいちゃんになるには充分な時間ですね。
さゆたまさんにとっても
とても思い出深い叔父様なのっですね^^
離れて暮らしちゃうと、
いつまでも記憶のままですから、
若いつもりになってしまいます。
私も同じような思いをしたことがあります。
まあ、その人はまだ生きていますけど^^;
ご冥福をお祈りいたします。
伯父は生前、戦艦大和が大好きでした。また、新しいもの好きで、8mmカラーフィルム(現在の動画にあたる)をVHSビデオテープに再編集して私に託してくれました。
その時の映像は、今の私のPCに動画ファイルとして保存してあります。動画に映っている映像は、昭和40年代の姫路城や、当時珍しかった姫路市営モノレール、そして若い頃の伯父の姿です。
さゆたまさんが書いてるみたいに、やっぱりそう。
「おっちゃん、ありがとう」
なんよね。
おじさん、さゆたまさんのこと可愛かっただろうなぁ・・