Nicotto Town


!(๑❛ᴗ❛๑)(;´・ω・)


「木(ぼく)ちゃん好きなの?」



『啄木のうた』石川啄木
を読んでいたら、後ろから近付いてきた友達に言われた
石川啄木のことを 「ぼくちゃん」と呼ぶのを聞いたのは
初めてだ

『すっぽりと蒲団をかぶり、足をちゞめ、
舌を出してみぬ、誰にともなしに。』
昨日の夜は綾瀬はるかに舌だしてました

『己が名をほのかに呼びて涙せし
十四の春にかへる術なし』
年上の憧れの人の歌だったら幸せ過ぎる

『不来方のお城の草にねころびて
空に吸はれし 十五の心』
十四、十五は勝負の年みたいだ

13歳で出会って、19歳で結婚した啄木だが、
8畳と4畳半の借家に、住職をクビになった父、母、妹が
同居し、5人の暮らしを啄木一人が支えていた
そのせいもあるのか、筋骨薄弱で徴兵免除になっている
家庭不和から妻は盛岡に、母は渋民村の知人宅に、
父は家出し、妹は小樽にと離散したそのさなかに
第一子京子が誕生 そのとき啄木20歳
啄木24歳の時に長男真一が誕生するが、10日後に死亡
翌年慢性腹膜炎、さらに肺結核になる
妻節子も病に倒れ、母も喀血し死亡 翌年啄木は重体になり
戻った父と病身の妻と若山牧水に看取られて27歳で死去
その年、啄木の死後次女が生まれるも、妻節子も翌年
肺結核で啄木のあとを追う

なんと貧乏と病苦の人生だったのだろう
『月末になるとよく詩が出来た。それは、月末になると
自分を軽蔑せねばならぬような事情が私にあったからである。』
雪だるまのようになった借金の返済に追われていた
啄木のエッセー『弓町より』にこうある
飾らず偽らず正直に平気に歌に詠んだ啄木と節子さんは
若くしてラブラブだったのをうらやむだけのカップルではなかった
だいたい住職をクビになったら他の仕事をしろよ、お父さん
お母さんも妹も新婚の邪魔しにこないで自活しろよ
啄木も結婚したら節子さんの味方になってやれよ
それに!釧路新聞社に入り小樽に単身赴任していた時
芸者と浮気(22歳)朝日新聞社に入社してからは浅草の
娼婦とお遊び(23歳)いい加減にしろ~~~っ
結婚への憧れが一気に薄れた


アバター
2020/10/09 23:27
さぬどん
昨日はかわいくペロっ じゃなくて
ベーーっだ!って憎たらしくやってました
大伴家持って誰に詠んだんだろ ぼくちゃんより素敵じゃなぁい
アバター
2020/10/09 22:20
ぺろっと舌を出した姿が可愛らしい。
「百年に老舌出でて よよむとも われは厭はじ恋は増すとも」
ぼくちゃんより、ずっと昔の大伴家持が詠んだ歌。あなたが、100歳になり歯が欠けて舌が出るようになっても、あなたのことを愛し続けます。今よりずっと。
ずっと愛してくれる人もいるから、ご安心を。




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