釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第16回はイラン
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2020/09/11 06:58:20
現在のイラン(現在の正式名はイラン・イスラム共和国)は、強い反米政策と独自のイスラム政体を築いていて、外国人から見るとぶっそうな国の一つとなっています。
しかしイランはその昔ペルシャと呼ばれた大国(昔の国名はペルシャ猫とかペルシャ絨毯として残っている)で、アラビアンナイトの舞台とか、ステンカ・ラージンの歌にも登場し「ペルシャの姫なり燃えたる唇」と歌われていた華やかな国(釣り師憧れの国の一つ)でした。
国の起こりですが、紀元前2,000年の末に遊牧民であったアーリア人がイラン高原にやってきて、アーリア人の中のペルシア人とメディア人がその後のイランの歴史を作りました。
メディア人は紀元前600年頃に勢力を強めてイランの北西部を中心にメディア王国を作りあげ、エジプトやバビロニアと並ぶ巨大一大強国となりました。
その後、ファールス地方から起こったアケメネス朝ペルシア(ペルシア帝国のこと)に同化されました。
ファールス地方は、ペルシア語で、パルスア、ファールスなどと呼ばれ、これが古代のギリシアの言葉でペルシスと呼ばれ、現在の「ペルシア」の起源になりました。
一方、イラン高原にやって来たアーリア人達は、自分達をアーリアと名乗り、ササン朝ペルシアの頃の公用語では「エーラーン」と言われ、イスラムの時代になるとこれが「イーラーン」となり、イランの起源になりました。
アケメネス朝からはじまったペルシアは大帝国を作り上げますが、その後7世紀にはイスラム(アラブ人)の侵入を受け、11世紀にはトルコ系民族、13世紀にはモンゴル系民族の侵入を受けることとなります。
混乱していたイランを統一したのがシャー・イスマイールで、16世紀にイスラム教(シーア派)を国教として、サファビー朝を打ち立てました。
最盛期は、シャー・アッバース1世の時代(1600年頃)で、首都は「世界の半分」と呼ばれるほど繁栄した、ペルシャの古都「イスファーハン」でした。
イランには、ペルシャ歴代の王の贅を尽くした宮殿や遺跡や美しいモスクや町並みなど、多くの魅力に溢れた観光地があります。
中でも、ベルセポリス(ペルシア帝国の首都)やイスファーハンは必見です。
皆さんはイランと聞いて、何を思い、何処を旅してみたいですか。
釣り師は「ジェジュンの少年時代」をイランに感じます。
夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
青空に残された 私の心は夏模様 (*^_^*)
世界遺産が多いんですね!