自作小説倶楽部8月投稿
- カテゴリ:日記
- 2020/08/31 22:26:54
『ある犯行』
事故のことは良く覚えていません。気が付くと私はベッドの上で、師父様の丸い笑顔が覗き込んでいました。怪我が癒えると母と兄が死んだこと、師父様が私を引き取ること、そして私の亡き父が教団の〈依代〉だったことを教えられました。私は父の代わりに教団の象徴として育てられることになったのです。
寂しくはありませんでした。兄が側に居てくれましたから、肉体も声も失ったけれど兄はいつも私を見守ってくれました。兄の姿が見えなくなったのは私が意識して嘘をつくようになった頃でしょう。いつかは教団から逃げなくてはならない思っていたのに、外の世界を恐れるようになっていました。特に私をインチキと罵るような人々、彼らが正しいとわかっていたのに私は彼らを恐れ、遠ざけるためにしばしば彼らを『悪魔』と呼びました。そうすれば信者たちが彼らを遠ざけてくれました。信者は彼らに何をしたか? わかりません。恐ろしいものは見ないように私は目を閉ざしたのです。
兄が私の前に再び姿を現したのは2年前です。肉体のある人間になっていました。大勢の新人信者の中に私は兄を見つけ、彼こそが教団を終わらせ、私を救ってくれるのだと確信しました。師父様にばれないように他の信者とともに彼を私の世話係にして側に置きました。教団での仕事の合間に私と彼は様々な話をしました。愚痴も嫌がらずに聞いてくれて驚くようなアドバイスをくれました。彼はとても物知りで、彼と一緒なら世界は私に取って優しいものになりました。
彼の望みのままに私は金庫の中身や隠された帳簿を見せました。もちろん師父様には内緒でした。随分気を付けていましたが、ついにあの夜に彼は教団から姿を消し、代わりに怒り狂った師父様が私を訪れました。怒鳴りつけられて私は師父様を殺す決心をしました。次の日の夜です。私は師父様を自分の部屋に呼びました。
それから起こったこと、師父様の死は刑事さんたちの知っての通りです。付け加えることなんてあるかしら。あの女? ええ、それは水が高い所から低い所に流れるくらい当たり前のことでしょう? 彼女が師父様を刺したことの何がおかしいのかしら? ああ、少し疲れたわ。眠って起きたら、彼が私を迎えに来てくれているかしら。ああ、警察署に私が居るって彼は知らないわね。迎え火のような目印があったらいいのに。小さなころ、母と兄と一緒に見た炎は父のための迎え火送り火たったのかしら。教団ではそんなことはしてはいけないと言われたわ。
「巫女様は机に突っ伏して突然居眠りを始めたそうです。取調官も立会官も毒気を抜かれて取り調べは中止」
若い警官は第二取調室を覗き込む相棒の背中に声を掛けた。
「きっかけはどうあれ、実際に教祖様、いや、あの教団では師父様って言うんだっけ? 師父様を刺殺したのは、あの愛人の女だから巫女様を立件するのは難しいね。その上まだ未成年らしいし、愛人があんな女の子に嫉妬するくらい被害者は女癖が悪かったんだろうなあ」
第二取調室の中では長年被害者の愛人であった中年女が髪を振り乱し愁嘆場を演じている。
「被害者は巫女様を利用してかなりあくどいことをしていたみたいだから、むしろあっけない人生の幕切れだったかも。ほかの信者は?」
「警察署まで押し寄せていた信者はマスコミの取材に恐れをなしていなくなりました。教団本部に残って居る者は途方に暮れているようです。これから、あの教団はどうなるんでしょうね」
「決まってる。僕らはもう一仕事しなくちゃならないね」
「でも、犯人は捕まっているんですよ」
「殺人じゃない。〈彼〉が教団を終わらせると巫女様が予言しているんだろう。神様の声はさすがに聞けないだろうけど、彼女はまったくインチキでも無い」
「巫女様の言う〈彼〉は何者なんです? 死者が蘇るなんてオカルトはごめんですよ」
「ある意味、僕らにはオカルトより始末が悪い。カルト教団に長期潜入し、犯罪の証拠をつかむ。〈彼〉は公安のスパイだよ」
〈公安警察〉、時には強権を発動して他の課の捜査を攪乱してしまうとこもある。彼らが教団に強制捜査に入ったとしたら、今回の殺人事件の捜査の権限すら取り上げられかねない。なのに公安の捜査の手伝いに地域課や交通課の人員が駆り出される。
若い刑事は青くなった。嫌なことに目の前の先輩刑事の勘はよく当たる。
「せめて、願わくは、〈彼〉が彼女を救ってくれることを祈るよ」
その頃、警察署の前に黒い車が乗りつけられ、目つきの鋭い男たちが降り立った。にわかに騒がしくなる外の喧騒を知らず少女は穏やかな眠りの中にいた。
われながらよい出来。
作者様のイメージとズレはありましょうが
そのあたりはご容赦のほどを。
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