きらきら、夢の川と水をもとめて
- カテゴリ:タウン
- 2020/08/30 09:10:20
仮想タウンでキラキラを集めました。
2020/08/30
集めた場所 | 個数 |
---|---|
おしゃべり広場 | 15 |
展望広場 | 3 |
きらきら、おしゃべり、展望、四択ナチュラル系、だったかな…。
わたしは子どもの頃から、水、水辺が好きだった、とどこかで書いたばかりなのだが。
昨日、おととい、二日続けて、川の夢をみた。最初のものは、川の跡地に赴いたといった感じ。県境だったか、市境だったか、縁にあり、わたしがそこに行くのは初めてだった。川の跡地と書いたが、円形にひらたくくぼんでいて、円のまわりが石垣のようになっている。円の中央に、解説があった。大切な川だったが、今は水が流れていないこと、そんなことが書いてあった。石垣からしみでるわずかな滴りをみつけた。これが名残りなのだろうかと思う。
翌日にみたのは、比較的大きな川だった。下流近いのだが、水が澄んでいる。流れのまん中に、ながい藻のような緑がうねっていた。こんな水がまもなく海にそそぐのか、だからこのあたりの海はきれいなのだろうかと、橋の上でながめている。
そういえば、わたしは川の夢をよく見ている。いや、川の夢を覚えている、のかもしれないが。
わりと大きな川。実世界でいえば、多摩川とか荒川がモデルになっているのだろう。どちらもわたしの今まで住んでいた場所にゆかりのものだ。
数年前までの夢では、おそらく荒川的な川がよく出てきていた。荒川系の支流の川たち。今はどうかしらないが、わたしの子どもの頃のそれらは、あまり水質がよいとはいえなかった。それが夢のなかでは微妙に反映している。川はあまりきれいではない。けれども、わたしが出かけるそこは、比較的、きれいにみえた。緑が残っていて、自然に護岸された川たちが、ゆたかな水をたたえていた。実際には存在しないのだが、夢のなかでは、所在地がある。東武東上線の板橋区内(わたしが何年か住んでいた)のどこかの駅から、すこし歩いたところ。
ただ、どこかで、もともと水があまりきれいではない、ということが頭に残っていたのだろう。その川は、夢のなかでは、なんども訪れているところだったが、全体的に違和感があった。なにか写真を加工したようだったのだ。川がきれいすぎて、河原や土手の草たちが華やかすぎた。
もっとも、その違和は、夢のなかでは、あまり気にならない。またここに来ることができたのだという、懐かしみのほうが多かった。
最近はその川の夢は見ない。荒川たちから、離れた生活が長くなったからだろうか。というか、今住んでいる場所に近い多摩川を素材とした夢をみることが多くなったような気がする。あるいは、どちらの要素も含んで、という夢の川。
たとえば、多摩川なのだろう、大きな川。その近くに湧水があるというので、みにいっている。石畳のようなところから、水がにじみ出ている。きれいな水たまりが一面に。ときには噴水のように吹き出している。なぜ石垣やら石畳なのかわからないが、ともかく石の間から水が湧いている。すぐ横になにかを区切るように、土手がみえる。その向こうに川が流れている。
川の夢を二日続けてみたとき、そのこと、夢の川たちを思い出した。同時に、最近バイト以外の外出をしていないから、こんな夢をみたのだろうとも。
わたしの生活圏には、多摩川、そして多摩川水系の野川が近くに流れている。とくに野川はごく近くを流れているので、毎日見ている。つまり、が、それは、わざわざ出かけてみているのではない。ああ、今日も水が澄んでいるなあと、川面を眺めるが、道の行き帰りで、そう思うだけだ。コサギがすっくと立っている。カルガモの親子が列をなして川面をすすむ。
この野川は別として、最近、どこかに出かけていないなあと、気づかされた、といっていい。なにか、水が欲しかった。夢に背中をおされるように、バイトの帰り、国分寺崖線上の緑地に足を運ぶ。成城三丁目緑地、崖に残った小さな森。林といったほうがいいのだろうが、わたしのなかでは森なのだ。家とバイト先の中間地点にあるが、最近はあまりこの道を通っていなかった。ヒグラシが朝晩は鳴いている。カブトムシやクワガタ、沢ガニがいるところ、タヌキもいるらしい。
まず、崖下に到着した。水が変らず流れている、そのことが素直にうれしかった。保護された斜面の上のほうをみる。緑に囲まれた小道のようなところを、湧水が流れている。
水が流れる音、ひざしがちらちらとすること、暑さのなか、こんな緑が、それでも、やさしく涼しさを送ってくれること、ああ、これは夢では味わえなかったことだと、実感する。靴の下で、落葉たちが、踏みしだかれている感触が、やわらかく、うれしい。
通ることのできる散策路もある。ほんの少しの道だが、来るたび、ちょっとした山林にハイキングにでもきたような気がしてしまう。木々のなかを進むと、きよみず橋という小さな橋に出る。湧水たちが別の斜面から流れ、草と土をぬらしている。
夢にみちびかれて来てよかった。来ようと思えばいつでも、なのに。けれども、やはり、どこか、もうすこし、遠いところに行きたいなとも。
これらの湧水たちをみた日の夜、川の夢はみなかった……。いや、今、思い出した。やはりみたのだった。夢のなかで、わたしは湧水に手を差し入れている。石畳でも石垣でもなかった。斜面から岩をつたっての、ちいさなちいさな滝のようだった。さぞ、ひんやりしているだろうと期待したのだったが、ながれてくるそれがぬるい水だったことに驚いた。まるで夏の水道水のようだった。そして、かつての夢の水辺が、あざやかすぎる色彩を放っていたのと、このぬるさは比例している、そう思ったのだった。川の縁はどこにある?
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