Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


二宮考古館へ、やっと…その1

仮想タウンでキラキラを集めました。

2020/06/24
キラキラ
集めた場所 個数
ペット海浜公園 4
神社広場 3


 久しぶりにここに来た。こことはどこだろう。創造(想像)の世界かもしれない。それまでどこにいたのだろう。想像と日々はつながっている。神話と日々が実はもろい線であるかもしれないがつながっているように。
 三月からの新型コロナウイルス感染症関連の影響…。わたしはどこにいたのだろう。日々に流されていた。日々のなかで、バタフライエフェクトをぼんやりと感じていた。蝶の羽ばたきが、つらなって、波を起こす。ひとつの病がこれほどまで生活に。
 本はすこし読んでいた。〆切のある仕事もしていた。バイトは物流系のほうは影響で忙しくなったが、チラシ投函などは仕事が減った。編集に携わっているフリーペーパーの刊行も夏号は休刊となった。
 季節はもう梅雨、そして夏至を過ぎた。
 わたしはこの時期が好きだ。いや、夏至に向かうまでが好きだったんだなと思い出す。夏至までは日が長くなる。早朝バイトは一年を通じて、大半が日の出前に出勤しているので深夜バイトといった感じがある。だが、夏から晩夏にかけて、夏至をはさんだ数ヶ月だけは、ほんとうに早朝バイトといった感じになる。それでも出かける時分はまだ暗いが、鳥たちが賑やかだ。朝を彼らは知っている。そうして、すぐに東の空が明るくなる。それがうれしい。そして夕方。冬だと五時でもう暗くなっていたが、夏至の頃は七時過ぎてもまだ明るい。昼が長くなった、時間が長くなったような気がする。そんなことはないのだが、その感触がやさしい。時間がわたしのまわりで、しずかに、おだやかに過ぎてゆく。
 もう六月二十一日は夏至…。それ以降は当たり前だが日が短くなってゆく。まるで夏休みみたいだなとぼんやりと思う。夏休みに入ったばかりの七月後半は、まだゆっくりと時間が流れている。八月十五日をすぎるとあっという間に九月一日になったっけ。今年は夏休みも短いようだけれども。
 といっても、夏至の頃の明けの空の明るさを、夕方の長さを、梅雨がなかなか実感させてくれない。それもまた、風物詩だ。けれども、今年はなんとなく、夏至の空を感じることが多い、雨も降っているのだが、雨越しにも空の明るさがわかる。ホタルブクロが、あちこちで、見頃をむかえ、もうそろそろ終わりだろうか。アジサイが色鮮やかだ。ノウゼンカズラが咲き始めた。オレンジ色、夏の色だと思う、まぶしげで、けれどもつつましい。
 都道府県をまたぐ移動の自粛が六月十八日をもって解除された。六月二十日の土曜日は梅雨の晴れ間だ。前から行きたいと思っていた、あきる野市の二宮考古館へ行ってきた。同じ都内だが、なんとなく、この解除を待っていたのだ。家から車で一時間、三十キロちょっと離れている。大雑把にいうと、多摩川を昇ってゆくかんじ。
 道はかなり混んでいた。自粛解除で、わたしたちのように多くの人々はどこかに出かけていたのだろう。渋滞する道路はゴールデンウィークのようだなとふと思う。多摩川の河川敷にも人がいた。ボードセーリング、パラグライダー、川遊び、野球など。マラソンをする人、サイクリング、マスク姿は多いが、普段の生活のようだった。
 途中日野を通る。日野といえば、わたしが子どもの頃から好きだった新選組副局長土方歳三ゆかりの地だ。高幡不動を通ると、彼ゆかりのお土産を売っているのが見えた。門のなかには銅像も。高幡不動はアジサイの名所でもあるので、賑わっていた。土方さんは、土方歳三うどんやまんじゅうが売られていることを知ったら、どう思うだろうかとふと思う。けれどもたぶん、彼にとって、ほぼどうでもいいことかもしれない。とおい眼でみるかもしれない。けれどもわたしたちは彼を思うことで、彼の生き様を感じることしかできないのだ。車のナビに石田という地名が出てきた。彼が生まれたのが石田村だった。車の窓からその方角を見る。田んぼがぽつぽつと見られた。植わったばかりの稲がまだ弱々しく、張った水が目立つ。こうした田んぼを見るのも久しぶりだと思う。
 結局一時間弱で着くはずが、二時間以上かかった。着いたのが三時五分。午後四時閉館というので、間に合ったというか、ちょうどいいというか。
 二宮考古館は二宮神社に隣接している。来館者用の駐車場に車を停める。車はわたしたちのものだけだった。
 以前、東京の縄文といった感じでネットで調べたところ。自粛解除で、美術館や博物館などは、予約制になったところもあるが、こちらはマスク着用、消毒と来館時に連絡先記入するぐらいだった。入場制限も無論あったが、来館者はわたしたち二人をのぞいたら一人きり。静かにゆっくりと楽しめた。ひさしぶりの博物館、ひさしぶりの縄文土器、土偶たち。こんなふうなことが当たり前になることが、日常が戻ってくるということなのだ。
 ドイツ政府のコロナウイルスの経済支援対策時の、グリュッタース文化相の発言が頭に浮かんだ。「芸術家は必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ。」
 第二次世界大戦時、ヒトラー政権時に、様々な貴重な美術品が消滅したという歴史的経緯も鑑みなければならないだろう。こうした国から発せられた言葉は重いし、わたしが感じる芸術たちとは、いろいろな意味で違うかもしれない。それでも、ともかく悲しいことだが、芸術がなくとも、人は食べてゆけるということ。食べて、働いて、寝るだけなら。それはほぼ機械ではないか。芸術がないということは、わたしにとっては想像世界がないということだ。それがなくて、どうして生きているといえるのだろうか。芸術とは、ささいなことでいいのだ。絵を思う、たとえば季節ごとの動物に気づく、花に触る。そのほんの少しした延長で、季節の花まつりに出かける。それがなくなるということも含めて、芸術なのだ。
 博物館、美術館、図書館、動物園、公園も、ずっと閉館していた。図書館はこれを書いている今もまだ、書架への立ち入りは出来ていない(わたしが住んでいるところは6月24日から再開した)。
 話がそれてしまった。最近ここを書いていなかったから、その分、埋め合わせようとしているのかもしれない。
 ともかく待ちに待った二宮考古館。こんなふうに展示しているものを眺めていいのだろうかと、とまどいすら覚えた。そのことにありがたみを感じつつ。

(続きます。)




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