釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第4回 台湾
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2020/06/18 10:55:34
釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第4回 台湾(中華民国)
台湾と聞くと、まずバナナ、マンゴー、王貞治、ジュディオング、台湾人と結婚した福原愛ちゃんなどを思い浮かべます。
コロナ対策の優等生として注目されている台湾ですが、その歴史は日本人には意外に知られてません。
僕ら日本人は全く自覚も無く記憶も薄れてしまっていますが、台湾という九州程度の大きさの美しい島は、1895年から1945年までの50年間、日本の国に属していました。
そこに住む人々は、その当時は日本国民で、日本人としての教育を受け、日本人として生活していたのです。
その治政が良かったせいか、台湾人は非常に日本人びいきで、最近でも台湾人の好きな外国人の1位か2位には日本人が入っています。
一般的な常識として日本人が知っているのは蒋介石以後の台湾の歴史で、明治時代まで中国は清という国でしたが、孫文の指導による革命が起き、1912年に『中華民国』という国が誕生しました。
しかし第二次大戦後、中国内部で孫文の流れをくむ国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)の争いが表面化し、共産党が国民党を圧倒し、とうとう共産党は、国民党を大陸から台湾に追い出し、共産党は1949年に『中華人民共和国』の建国を宣言し、このときから、大陸は『中華人民共和国』となりました。
しかし、台湾に逃れた国民党政府は、負けを認めず、中国王朝の正統はわれわれであると主張し、それからずっと『中華民国』として頑張っています。
まったく知らないのがオランダの植民統治以前の時代で、台湾本島は近域を航行する船舶の一時的な寄港地、あるいは倭寇の根拠地としての位置づけで、この状態が明代まで続き、台湾には台湾の先住民族である台湾原住民が住んでいて、日本でいえば縄文・弥生のような生活をしていました。
台湾本島が正式に中国版図に組み入れられたのは、清時代になってからです。
清朝編入後、台湾へは対岸に位置する中国大陸の福建省、広東省から相次いで多くの漢民族が移住し開発地を拡大していき、台南付近から始まった台湾島の開発のフロンティア前線は約2世紀をかけて徐々に北上し、19世紀に入ると台北付近が本格的に開発されるまでになりました。
清朝が漢民族女性の渡航を禁止したため、漢民族男性の伴侶は必然的に台湾原住民女性となり、漢民族と平地に住む原住民との混血が急速に進んだのです。
以上が日本統治時代以後とそれ以前の台湾の歴史の概要で、台湾にアメリカのインディアンのような先住民族が住んでいたのは、今の日本人には意外に知られていません。
その先住民族最大の人口を誇るアミ族のショーを、台湾東部の花蓮で見たことがあります。
具体的な内容は、戦いの踊り、バンブーダンス、結婚式の踊り、豊穣を祈る踊り等で、初めにアミ族の8人の若い男が会場に隊列を組んで走って入場、続いてアミ族の7人の若そうな女が並んで走って入場し、輪になって様々に繋がりながら踊ります。
この15人が今宵の踊り子さん(ダンサー)たちで、ツアーガイドがバスの中で話していましたが、男のダンサーは現役のアミ族出身の体育大学生がアルバイトで踊っていますが、女のダンサーについては若い娘もいるが相当な年増女(おばちゃん)も踊っているとのことでした。
華やかな民族衣装に見とれて、おばちゃんの踊りでもうっとりしてしまいました。
一方、現役体育大学生は全員若くエネルギッシュで、激しいリズムの中を飛んだり跳ねたり逆立ちしたり、迫力のあるダンサーぶりでした。
とても楽しいショーでした。
皆さんは台湾と聞いて、何を思い、何処を旅してみたいですか。
もちろんコロナの終息した後になりますが、自由にお書きください。
高雄の六合夜市に行ったことがありますが、ここはすごかった。
六合夜市は高雄の夜市の中で最も歴史のある夜市で、高雄市の「六合二路」と「自立二路」の交差点から始まる道路の両側に、約500mにわたって商店と屋台が立ち並び、ここは連日連夜、日本の縁日のような賑わいとなります。
150の屋台のほとんどは「小吃」(B級グルメ)で、食欲をそそる匂いが充満しており、営業のピーク時間は夜の8時から10時くらいの間、夜中の2時ごろまで開いている屋台も中にはあります。るという。
台湾では夜市は現地の人たちにとって日常生活の一部であり、家族の団欒や仲間と親交を深めるための場所ともなっているのです。
共働きが多い台湾では、外食はとても日常的なことで、外で食べたほうが安いうえに、美味しい料理が食べられるので、こんなに毎晩夜市が開催されることとなったのだといいます。
中には夕食だけではなく朝食まで外食派という人も珍しくなく、学生も自炊よりは断然外食する人が多いので、大学生用マンションには最初から台所が付いてないところもあるのだとか聞いています。
ただ、ガイドさんの話では、台湾の食事は日本のような衛生管理のしっかりしたところとは違うので、慣れてない日本の方は胃腸をこわす事があるということでした。
でも、食材はすごく美味しそうで、釣り師の実感ですが台湾の夜市は台湾の本質そのもののような気がしました。
台湾夜市には、漢人と台湾原住民の混血で生まれた、妖しいエネルギーの爆発が感じられたのです。
それは危険な、あるいはあぶない、ヤバイというような語句で言い表される種類のもので、それこそが台湾人のエネルギーの源泉で、台湾という国の本質のような気が強くしました。
椎名誠は何冊か読んだことはありますが、もうすっかり忘れています!(^^)!
椎名誠「あやしい探検隊 台湾ニワトリ島乱入」を少し前に読みました。
探検というより、田舎で合宿したという話でしたが。
台湾は親しみを感じる場所で、エネルギッシュなイメージです。
ジュンチャンは、行ったことあるんですね♪いいな~