Nicotto Town


ガラクタ煎兵衛かく語りき


虹とスニーカーの頃





そろそろ書いておかないと
いつまでも書かないってのは世の常シリーズ①


当時、音楽雑誌「MUSIC LIFE」を出していた
新興音楽出版社(シンコーミュージック)の事務所を
私が訪れたのは1980年の初春
MUSIC LIFE誌に載った求人欄を頼ったのだ

開口一番尋ねられた面接はこう始まった
「チューリップと甲斐バンドとどっちが好き?」
一瞬の逡巡もそれはすぐに失せた
「チューリップです」
「そうね10ccが好きなんだもんね」
彼女は略式履歴書を見ながら頷いた

数日後私は御スタ(新宿御苑スタジオ)へ
更に数日後には渋谷の坂を上った先のスタジオ(名は失念)へと
派遣された

そこでは財津さんが他の4人のメンバーを支配していた
直前にベースとドラムが交代していたからだ

姫野さんの弾くSolinaは重たかった
Bass Ampも重たかった
レスリーも重たかった
ていうか三階から一階の階段を
人力で機材移動したのはそういう時代だったのか

先輩のローディーは二人
玉さん(当時華奢で美形な男子の通名)と
肉体派の〇〇さん(御免なさい忘れた)とで
語り合った音楽小話は素敵なメモリー

目黒の実家から通っていた玉さんは
チューリップのメンバーから信頼を得ていた
よく云う(4人バンドなら5人目)
(5人バンドなら6人目)という存在だった

スタジオリハの総決算として南朝霞に向かった
遅刻したっけ

そして数日後
チューリップは新メンバーのお披露目を果たすべく
中野サンプラザという大舞台のライブを迎えた


私にとって唯一無二の汗と焦りと興奮に溢れたステージ
(それまで見たことのない)
関係者や業者の出現と躍動
サンプラザ裏口からの機材搬入
関係車両の移動
機材セッティング
シールドを床に固定するテープ
飛び交う指示
走り去る足音
交差するライト

本番1時間前
任務を終えた私が
外の空気を吸いにドアを開けようとしたら
「出るなよ!まだだ!」
外には開演前のお客が列をなしていた

ライブが始まった
控室の窓際にセトリの3曲目が流れてきた頃
私の前にスマートな男が現れた
とりとめのない話だった
あれが第2の面接だったのだろうか
今となっては何もわからない

サンプラザの次は北海道公演だった
私は招集されなかった
そうしてささやかなチャレンジは終わったのだ






合格だったら今の私はいないと思う
総じて幸せな暮らしをしている私にとって
あの瞬間(とき)は多分最もデンジャラス(至福)な崖
もうあんな向う見ずな行動は願ってもできない
こうして自分自身を文字に起こしてただ驚き狼狽するだけ
山の稜線を全速力で駆け降り
海の水際を裸足で抜き去り
空の境界を手を拡げ舞うなんて
もう願っても願ってもできない




でもねえ
ときどき思うのです
あのとき
ああだったら
そうなったんだろうなと


でも
それは別の次元
それは別の時空
それは別の位相
それは別のNicottoのお話

玉さんどうしてるかなあ
Long hair good-bye

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2020/05/24 17:49
そうか、、

そんな逸話がおありなのですねぇ





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