コロナ対策で見えてくること
- カテゴリ:日記
- 2020/04/14 13:33:28
どうもご無沙汰をしております。
出戻り早々に、面倒で偉そうな何時もの話で恐縮ですが。。。
うちの会社では、3月から極力テレワークでとなっていましたが、現実は普通に出社している状態でした。が、先週から原則テレワーク、基本は出社禁止となりました。それはいいでしょう。このご時世です。ただ問題が色々と。これはあちらこちらで起きていることだとは思います。
結論を一言で言えば、計画も準備も予測も足りないまま、よし!完全テレワークだ!と拳だけ威勢よく振り上げてしまい、会社が会社の責任で実施するテレワークの体をなしていない、ということです。
事例を一つ取り上げるとすれば、テレワークの生命線であるネットワークに関することが分かりやすいでしょう。
テレワークに移行するということは、仕事のすべてオンライン上での実施となります。つまり社員全員分のテレワークが成立する状態でのネットワークの準備が必要となります。テレワークが成立する状態とは、一人当たりの通信容量や通信速度のはどの程度に確保するか、それはどの事業者とどのプランを組むと、いつから幾らで開始できるのか、それは会社の予算として成立するのか、といった事柄の目算をつけ、その重要度と緊急度から優先順位をつけ、実行するという一連のことがなされて初めて「テレワークが成立する状態」に移行することができます。
会議もすべてオンラインですから、オンライン会議のシステムが必要です。もともとウチの会社にも1システムの1アカウントだけの準備がありましたが、同じくテレワークが成立する状態にするためには、システムの利便性、通信負荷、セキュリティ、利用可能な人数、導入可能な時期、イニシャルおよびランニングのコスト、解約時の設定、といった事柄の目算をつけ…という先述同様のことがなされて初めて「テレワークが成立する状態」に移行することができます。
残念ながら、うちの会社ではどこれもがおよそ未実施のままテレワークに突入してしまいました。もちろん通信回線が無ければテレワークが出来ないことは会社としても認識しています。問題は、各自の家にインターネット環境くらいあるはずだから、適当にやってくれるだろうという無責任な予断ありきでテレワークを始めてしまったことにあります。準備不足は、電話応対や郵便物の受け取りといったことまで、あらゆることがその状態です。
準備不足での見切り発車そのものを非難はしません。もちろん、テレワーク移行にならざることを得ないことは予想がついていたわけで、その実施検討を事前に進めていなかったことはダメです。ですが、そこはとりあえず不問。実際、急に数日間で決めたことですから、準備不足はあるでしょう。それはいいのです。問題は、先述の様な準備の準備をせず、していなくても適当に社員がやってくれるという予断を持った上で(としか思えません)、「早い決断」「大胆な行動」という表面的なカッコいい拳だけ振り上げてしまう安易なスタンスにあります。
「調査や計画は立てているが、実行が間に合っていないだけ」という可能性も想定はできます。しかし「可能性も想定することはできます」と私が言っているということは、少なくともテレワーク以降の課題が何で、何がどう準備され、あるいは準備が間に合わず、それはどの様にいつ解消の予定か、という現状と計画のアナウンスが全くなされていない状態だということです。アナウンスがされていないだけでしょうか? 実際はそういう準備ができるのであれば、アナウンスも出来るものなのです。裏を返せば、アナウンスが出来ないということは、そもそもやっていないとみるのが妥当です。というか、アナウンスが実施できていないことの裏には、そういったことをアナウンスしなければならないという発想がない、という問題も往々にして隠れています。仮に準備がなされていたとしても、そのことをきちんとアナウンスしなければ誰にも伝わらないわけで、それは事実上「わたしたち無策です」と伝えているに等しいのです。
そしてこれは、そんなことの積み重ねの中で会社は社員からの信頼を失い、弱体化していくという会社組織の運営として致命的な過ちを犯していることに気が付いていない、という根本体な問題に行き当ってしまいます。
別にわたしの会社への文句が言いたいということが、ここでの趣旨ではありません。そんなものは、もうどうでもいいのです。
話が違うようですが、私は大学生の頃、学生自治会(そういう名前ではない組織でしたが)の自治会長(左に同じく)をしていました。学生の自治会運営など会社運営に比べればお遊び同然です。ですが、実は組織運営ということの基本を私はそこで学んでいました。
私の学校の自治会は、よくある他校の学生自治会とは違い、学校サイドのお手盛りは一切なしの、学校運営から完全に独立した学生自治組織でした。話が古くて恐縮ですが、設立が新しい私の大学は、50年代以降の全学連のような特定の政治セクト色を出した学生組織や、全共闘の失敗を参考にしながら創設された組織だったということと、大学自体の設立趣旨が大学教育の実験であり、大学教育の新たな方向性を打ち出せれば、自身は役目を終えて消えても良いという特殊な設立主旨を持っている変な学校だったので、学生自治組織も自然と昔からの自治会を引きずる他校とは、少し色合いが違いました。
とはいえ時代はすでに90年代。そもそも学生なんていい加減なもので、適当なことしかやりません。そういう学生や部活、サークルを取りまとめ、物事を決め、実行し、学校側とガチンコの団体交渉もするということは、まあ困難なことです。ある意味で、そうは言ってもやるしかないという会社組織よりも統制はハードになります。しかもウチの学生自治会は、その運営趣旨から、決め事を守らなかった場合の罰則規定を設けないという決まりがあったので、ますますやっかいでした。
会社の様に決められたらやるしかないということもなく、罰則もない状態の組織をまとめるためには、あらゆることについて常に計画と実行のプロセスを提示して、何が、何のために、どう行われているのかという論理合理性を示し、そこに参加しないと何が起きるのか、さらにそれをしないことがいかに道義的にまずいのかという精神論まで、すべて明示して納得させることが必要不可欠でした。それは、個々の会議から組織全体の運営まで、あらゆるレイヤーで起きることです。もちろん、そんなことがキッチリと出来ていたわけがありません。ひどい有様でしたが、組織運営とはそういうものだということを理解できたことは、私にとっては大きな経験でした。
今までに中小企業を幾つか経験してきましたが、その規模の会社の組織運営というものが如何に稚拙かということも何となく理解できてしまい、それをどうにかしようと苦心したのが私の社会人生活で使った労力の半分だったように思いますが、なかなか如何ともしがたい… 自らの力不足を本当に恨めしく思います。
ピンチはチャンス。
コロナ騒動は悪いことばかりではありません。今まで見てこなかったこと、今までやってこなかったこと、そういうものが色々と分かってきて、感染終息後の糧になる経験が色々と出来る機会だと考えることもできます。その機会を活かせるかどうかは、それぞれですね。。。
私はアルバイト先が5月6日まで休業となり、学校は春学期全て遠隔授業になりましたので、stay homeを真っ当しています。
私の大学もオンラインでの授業になりましたが、私の家にはWi-Fiもありますし、自分用のPCもあるので問題はありません。
しかしこちらの日記を読んで、全ての家庭がインターネット環境が充実しているとは限らないことにハッとさせられました。盲点だったなと思います。
いろいろ考えされられますね…。