うさぎ舞姫春の型
- カテゴリ:日記
- 2020/03/13 12:08:16
時を遡れば遡るほど、人間は神に近かったのだろう、と思います。
原始から古代にかけて、今よりはるかに、人間はいろいろなものを怖れていたと思います。
何しろ死ぬ危険がずっと高かったんです。
ですから、たいていの事は、「神事」につながっていたんですね。
音楽もそうですし、
舞踏もそうです。
世界共通でそうなのですが、
これらは古代には渾然一体となっていました。
ヴァーグナは歌劇ではなく、舞台上の「総合芸術」をめざしました。
でもこれは、実をいうと、「古代に返れ」につながっていたのですね~。
日本の場合はそれらを総称して「舞台」と言うわけで、
様々な役どころを担った人が、台の上で舞いながら、
吟詠をする……という形であったようです。
つまり、日本人は何よりも「舞う」ことが、神に通じると思っていたのでしょうね。
ウツツヲ抜かす体で 実は新たな技開発してたとか…
さてさて… 丁髷さん講義はこの辺でイイカナ~?^^ 御話合い終了にて…御返事は不要とするゾ~☆彡
まあそういうことかな。
柳生家は将軍家の武術指南役だから、能なんぞにうつつをぬかしているのはみっともない……という事だったんだと思うよ。
でも、摺り足で動くのは今も剣道に残っているし、あれは能に通じる動きだと思うな~。
上に立つ人なら多角的にモノを見て… 広い視野を持たないと… 支配者として相応しい行為行動をしてね
って云いたかったのですかネ~♪
洋風で云うなら 【ノブレス・オブリージュ】…みたいな感じで~☆彡^^)ノ
うんw 結果的にはそうなったし、そう見えるのだけど、
実はね~。笑える裏話があるんだ。
当時の野牛竜(江戸柳生)の総帥は、能に凄く入れ込んでいたんだって。
金春流だったと思うけれども、屋敷に招いてじきじきに舞の稽古をつけてもらったり。
あんまり熱中しているので、これも禅の指導をしていた沢庵禅師その人に注意されたんだよ。
「何事にも執着しすぎてはいけない」みたいな勿体ぶった言葉が残っていますが、
まあ……実のところは、そんなに能になぞいれあげるな、と叱られたんですね~。
舞に武を交ぜる舞士の素晴らしさを称賛すべきか… …って この場合は前者だヨネ…;^^)
元は 脳筋?寄りな 武人さん達が優雅?なる教養を身に付ける過程の1つ…ですもんネ~ 武の延長で 舞に至るってヤツですかネ?^^
うん、そうかもしれないね~。
武は舞に通ず、などと言うんだけれど、確かに演武していると、そんな感じがしなくもないよ。
(ただ、私が通っていた道場は実戦的な流派だったためか、演武のためだけの演武……つまり、人に見せるだけの見栄えのする演武は踊っているよ、なんて言っていましたw)
の…野牛…竜 …兵法…ですか? 武人(脳筋系?)さんにしかワカラナイ世界なのカナ~;--)
気にしない~。
能のあの足取りは独特だよね。
歩いているのに端っているみたいな……。
野牛竜兵法(剣術)の奥義は、能の足取りを取り入れてあるらしいよ。
【C-】位迄?…;_ _) ぅわぁ…洒落にナランぞぉ…
っとぉ ジョウダンは此処までにして… 能と狂言 …一緒にしてはダメですね~;><)
アノ独特の歩み?走り? …でアノ 夜夢に見そうな 能面装備して…
アレを 真正面から見たら 腰砕け状態で 座り込んじゃうカモ…
うんうん、お面をかけて舞うのが能で、お面はかけないで演じるのが狂言だね~。
最近は映画の「陰陽師」で主演した人が有名かな。
確かに能は怖いとこあるよね~。
チョロットだけ見た事アルョ~☆彡
神楽毎もそのひとつですよ~。
園芸化したものが能ですね。
これは狂言も含みます~。
今は見ない、「門付け芸人」なども古代の神事のなごりなんだって。
おおっ。私はまだ狂言を生で見た事がありません。
いいなあ~というか、行けなさそうなのはとても残念ですね。
次の機会がなるべく早くありますように。
コーデにぴったり合っていますw
神事。。。私は来週、狂言を観に行く予定だったのですが、
どうも無理っぽいです(´・ω・`)